『検証 陰謀論はどこまで真実か』はどこまでおススメか
文芸社の高橋様より『検証 陰謀論はどこまで真実か』を献本頂きました。ありがとうございます。目次などはASIOS公式サイトの「ASIOSの本」を参照のこと。
本の構成
本はASIOSの既刊『謎解き 超常現象』シリーズと同じく、最初に「伝説」として陰謀論の説明があり、次に「真相」として検討結果と根拠が示されるという流れになっている。各項目の最後で多数の参考文献がリストされているのも既刊と同じグッドポイント。取り上げている陰謀論は5ジャンル34項目。陰謀論マニアでもない限り、一通り、どんな陰謀がささやかれているか知っているなんて人はいないと思うが、対象としている陰謀論の説明もあるので安心していい。
各論は絶対必要
ニセ科学批判なんかをしていると、ニセ科学批判批判に出会う。ニセ科学批判批判はメタな議論になる。でも、よくよく話し合ってみると、ベタな議論がすっぽり抜けた似非メタ議論(メタぶりっこ)でしかない。藁人形論法になってしまっていることも多い。
なにかを批判しようと思ったら、大局的な視点を持つ前にベタな議論(各論)を忘れちゃいけない。そういった意味で、陰謀論について何か語りたいと思ったら、ひとまず『検証 陰謀論はどこまで真実か』を読んでみるというのはいい選択だ。もっと言えば、陰謀論についてのメタ議論をするのならば、本書で示されている内容ぐらいは把握するのが前提だといってしまおう。
本当なら、自分で陰謀論の根拠をひとつひとつ検証した方がいいのは間違いないけれど。
総論も欲しい
各論が必須なのは前提だけど、総論にあたる部分も欲しいというのが本当のところ。
本書では「あとがきに代えて」ということで、なぜ陰謀論を信じてしまうのか?といったような総論にも触れている。対談形式っぽい感じもありつつ、各執筆者が自分の思うところを自由に語っているという印象だ。本のまとまり的には、各執筆者の意見はひとつに統一されていた方が良いのだろうけれど、本書はそうなっていない。執筆者によって視点も語り口もバラバラ。僕は逆に好印象を受けた。総論なんて、様々な事実を知り、色々な人の意見を聞いて自分で組み立てればいいものだと考えているからだ。ただし、重要なのは、ここで書かれているのは各論をいくつも検討してきた執筆者が考える総論だということだ。机上の空論にはなりようもない。
「あとがきに代えて」では執筆者の人柄も垣間見えるので、どうしても強面に見られがちな懐疑論者にも親近感を持てるかもしれない。
こうなってればもっと嬉しかった
ただ、不満が全くないわけでもない。本書は、陰謀論を検証するというスタンスで書かれている。しかし『謎解き 超常現象』との差別化がうまくできていない項目もあった。そこにある情報はとても有用だけれど「陰謀論の検証」というより、陰謀論の根拠とされる個別事例の検証に留まっているものがあるということだ。このふたつは似ているけれども、やっぱり違うものだ。
陰謀だとする積極的な根拠、そして具体的な根拠が不足しているというのが、陰謀論の大きな特徴のひとつだ。そのため、整った検証を目指すと、どうしても陰謀論自体の検証というより、陰謀論の根拠の検証にシフトしてしまう。そんな流れがあったのかなと思う。
買いかどうか
陰謀論にちょっと興味がある人から、とっても興味がある人なら本書は非常に参考になる。保存版の資料として使ってもいいし、さらに深く調べるためのポインタとしても十分使える。文句なく「買い」だといっていいだろう。
逆に陰謀論に興味の無い人が、ちょっとした読み物として買ってしまうと、内容の濃さに胃もたれをおこすだろう。心に余裕ができるまで積読しておいた方がよさそうだ。
蛇足
僕のような泡沫ブログ運営者に献本を頂いた理由が、本書を読むと分かるようになっているので、そこら辺(lets_skeptic)に興味のある方も手にとってみてください。
医療ネグレクトの通報を行って考えたこと
反省会 - 地下生活者の手遊びでid:tikani_nemuru_Mさんが反省会をしていた。私も通報者*1のひとりとして、似たような座りの悪さを感じていたので、遅くはなったけれど自分なりの反省会をしたいと思う。
私は、今回の行動を起こすこと(起こしたこと)については、行動以前も今も問題を感じていない。しかし、行動したと公表すること(公表したこと)については、座りの悪い思いをしている。
意外だったこと
公表すると決めたとき、まずはじめに手厳しい批判があるだろうことを覚悟した。「注目を集めて目立ちたいだけではないか」とか、「深刻な事態をニセ科学批判のネタにしている」とか、そういう類の批判があるのではないかと思ったのだった。それから、tikani_nemuru_Mさんの思いのように、チェーンメール化の問題もあるだろうと考えた。
ちょっと悩みはしたものの、もっと関係機関にパイプの太い人が動いて欲しいという気持ちもあり、公表することに決めた。投稿では通報や連絡を呼び掛けないよう意識して書いたが、チェーンメール化の意識をもっていたのは間違いない。そんなわけで、私のエントリに対して好意的な内容のコメント・ブックマークが殆どだったのは意外だった。
怖いと思ったこと
今回の件では、私が想像しなかったような量の通報が行われた。これは、ビタミンK問題*2の件の記憶も生々しい時期だったためだろう。自分も児童相談所に連絡しておいてなんなのだが、正直、多くの通報があったことは「怖い」と思った。
何が「怖い」のか、自分でも良く分からない。もしかしたら、2ちゃんねるで行われているような集団通報を伴う「祭り」と似たように感じたからかもしれない。もちろん、2ちゃんねるの方は私刑と呼んでいいものだし、今回の件がそれとは違うことは間違いない。それでも、多くの通報が行われるような状況は「怖い」し「望ましくない」と感じてしまう。できることなら「避けるべきこと」とも感じる。
やれることをやったが…
今回の件では警察の介入によって個人の特定ができ、一刻を争う事態ではないことが判明した。しかし、問題を解決の方向に向けることができたかといえば怪しいとも思う。子供の状況は投稿内容ほどひどいものではなかったということだが、根も葉もない作り話というわけでもないだろう。子供の健康は危険にさらされたままだ。母親がホメオパシーから離れたかといえば、それもまたなさそうだ。ホメオパシーを信じることで子供の健康を害するという構図は全く変わっていないように思える。
しかし、私たちがこれ以上介入する道はないだろうし、やるべきもないと思う*3。
子供にとっての幸せってなんだろうということ
行政やらなにやらが、今回の家庭に介入して、子供がまともな医療を受けられるようにすることは可能だろう。しかし、そういった方法で母親が考えを改める可能性はそれほど高くないとも思う。
そして、外部からの介入によって母親を否定された子供は幸せだろうか。私にはそうは思えない。極端な話、母親の真摯な愛情を受けながら、ニセ医療で死んでいくことの方が幸せだということがありえるのではないかとも思う。しかし、そんな状況は想像もしたくないほど悲惨だ。母親が最初から騙されなければ…周りに説得できる人がいれば…なかなかそううまくはいかない。
やれることをやるだけ
目の前の問題を解決に導くことはできないかもしれない。でも、ニセ科学、ニセ医療を批判していくことは間接的にこのような不幸を減らす力になると信じている。
最後に
今回行動された方や、エントリ内容に賛同していただいた方に対して、ずいぶん失礼なことを書いたと思うので、以下のtikani_nemuru_Mさんの気持ちと同じものを持っていることを表明して言い訳の替わりとします。
昨日のエントリに賛同して行動していただいた方々は、これを読んで不快に感じているかもしれにゃー。みにゃさまには感謝しているし、その行動をおとしめるつもりは微塵もにゃーのです。
ただ、昨日のエントリを書いているその時からひっかかっているものがあり、それがイボジとなって刻々と大きくなっており、このままでは僕のケツが持たにゃーんです。とっちらかってまとまってにゃーものを、あえてそのままあげておこうかと考える次第ですにゃ。
医療ネグレクトと思われる例があるということで通報した
医療ネグレクトの事例
ビタミンKの問題でも話題になったホメオパシー・ジャパン系のロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシーのページで、医療ネグレクトと思われる事例が公開されていた。母親の投稿内容を引用する。
現在、子供が健康相談にかかりお世話になっております。
主訴は腎臓です。2歳で発病し、2年ほど入院し、今は通院しています。10歳になりました。
病院では、免疫抑制剤がだされ、毎日飲まなくてはならず、とても疑問を感じていたところに、ホメオパシーに出会い、やってみたいと強く思い、相談会を申し込みました。3回めの相談を受けたところです。
今は病院の薬は飲ませていません。
(中略)
ただ、やはり毒だしのレメディ(抗生剤、全身麻酔、胸腺の毒だし)をとると、すごい好転反応がでてしまいます。わかってはいますが、ちょっと続けられないくらい、顔、特に目がはれてパンパン、足もむくみ、蛋白尿がでて、みているのが辛くて断念してしまいます。
母親は本当に困っている。そして、ホメオパシーを頼みのつなと思っているだろう。結果的には医療ネグレクトだが、私は親の子供に対する真剣さについて疑いをはさむつもりはない。
通報というか連絡
この事例は、はてなブックマーク経由で知ったのだが、感情が高ぶったので愛媛県中央児童相談所にメール及び電話をした。担当者の方には丁寧に対応していただいた。
インターネット上の話だし、母親が特定されているわけでもないので、愛媛県中央児童相談所にできることはないのかもしれない。客観的に考えれば、今回の連絡が単なる自己満足にしかならないだろうとも思ったのだが、論理よりも感情で動いた。
児童相談所はどう考えるのか
以前、地元の児童相談所に「親が代替医療を信じることで結果的に医療ネグレクトとなっている例があるが、児童相談所ではどうとらえるのか?」と話を聞いてみたことがある。担当者は「難しい事例だから、この返答は私個人の意見として聞いて欲しい」という前置きをして次のような説明をしてくれた。
- 虐待としては扱えないかも
- 前例を聞いたことがない
- 親に悪意がない*2
- 家庭が特定されていれば職員が調査に行くことは可能
- 家族・親戚からの連絡であれば介入もできるだろう
- 訴えの件数が増えれば状況は変わるかもしれない
正直な話として、個人的には不満だが、実務を行う人のことを考えると仕方ないようにも思える。
連絡先としてはどこが適切なのか
このような事例があった場合、最も適切な連絡先がどこなのか、知っている方は教えてください。
「アポロは月に行っている!」という主張の根拠にも怪しいものがある
ビタミンK欠乏症問題
ビタミンK問題が話題になっているので、私も書かずにはいられなかった。
ビタミンK欠乏症
新生児は、ビタミンK欠乏になりやすい。ビタミンK欠乏状態になると、出血が止まらないような症状になる。脳内出血が起こった場合等は、死亡したり、重大な障害が残ったりする場合もある。通常、新生児にはK2シロップと呼ばれるビタミン剤を投与することで、ビタミンK欠乏を抑制している。
自然信仰と母乳育児の推進
粉ミルクに比べて母乳の方がよいという話は、医療の現場でも言われていることのようだ。国際機関や政府機関は積極的に母乳育児を勧めている。しかし、ビタミンKの問題については、粉ミルクの方が望ましい。人工的だとしてK2シロップを拒否する行動と、自然だとして母乳育児にこだわる行動が重なると、ビタミンK欠乏症の危険性は増す。
ビタミンK問題
「「ビタミンK与えず乳児死亡」母親が助産師提訴」というニュースが 2010年7月9日 読売新聞から配信された。以下に内容を一部引用する。
生後2か月の女児が死亡したのは、出生後の投与が常識になっているビタミンKを与えなかったためビタミンK欠乏性出血症になったことが原因として、母親 (33)が山口市の助産師(43)を相手取り、損害賠償請求訴訟を山口地裁に起こしていることがわかった。
助産師は、ビタミンKの代わりに「自然治癒力を促す」という錠剤を与えていた。錠剤は、助産師が所属する自然療法普及の団体が推奨するものだった。
この事例は、ホメオパシー問題を追っている人の間では広く知られている。「助産院は安全?」というブログの功績である。
ホメオパス*1の認識
ニュースの配信をきっかけに、菊池誠さんのブログの記事「ビタミンK問題: 助産院とホメオパシー[追記は随時あり]」のコメント欄に情報が寄せられている。現時点で重要だと思われる内容を引用する。
生まれた翌日、退院の日、1ヶ月検診、この3回、赤ちゃんにK2シロップを飲ませていますよね。これは、頭蓋内出血とか、出血傾向の予防のためなのです。 それで、ビタミン剤の実物の投与があまりよくないと思うので、私はレメディーにして使っています。
「ビタミン剤の実物投与があまりよくないと思う」という自然信仰丸出しの思い込みからホメオパシーのレメディを用いているという話のようだ*2。この発言をしたという鴨原鴫原助産師は、善意からこういった行動をとったのだろう。しかし、善意だからといって許される行動ではない。
また、Takuさんによれば、今回の問題が明るみに出た後、ホメオパシー医学協会の雑誌では、以下のような弁解(?)が書かれているという。とにかくこれはひどい。
Vit- K30Cには現物質はなく、パターンしか含まれておらず、血管壁を壊すことはありえないこと、(逆にK2シロップの過剰投与は血管壁をもろくする可能性あり)、今回の原因推定としては、様々な問題が考えられること、また、両親のミネラル不足やマヤズム的問題、医原病が胎児に受け継ぐ事などもあること。
レメディのせいではなく*3、両親の健康状態が悪かった、過去生のカルマのようなものだ、両親の受けた現代医療が子供に悪い影響を与えた…という主張をしているようだ。つまりは、親が悪い、(マヤズムによれば)もともと死ぬ運命だった…とかいう話を分かりにくく表現しているだけである。
どこまで厚顔無恥なのだろうか。
なぜ有害な治療法も有効だと誤解されるのか
代替医療のトリック
『代替医療のトリック』という本が話題になった。私も今までホメオパシーを例に代替医療の持つ問題を取り上げてきたが、この本を読めば私のエントリの多くは必要ないものと言える。既に多くの書評が発表されているようなので、肝心の内容についてはそちらを参照のこと。
全体的に良書といって間違いないのだが、あえてひっかかったところを書くとすれば、プラセボ効果に関するところ。私は『代替医療のトリック』で扱われているプラセボ効果の説明は、ちょっと行きすぎだと考えている。過大評価ではないか。プラセボ効果は確かにある。しかし、本来の意味での「効果」と呼んでいい効果は、この本で触れられているよりも小さいものだろうということだ。
このことについての私の理解は、過去のエントリ「誤用される「プラセボ効果」 - Skepticism is beautiful」 を参照頂きたい。
なんにでも効く
まず「なぜ「なんにも効かない」ものは「なんにでも効く」といわれるのか - Skepticism is beautiful」の補足から。
この記事で言いたかったのは、全く効かない治療法であっても、「効く」の基準さえ下げてしまえば効くように見えるということだ。例えば「その治療法で治ったという実例がある」「その治療法を使ったら、本当に体調がよくなったのだ」という基準は、非常に低い基準である。
ただ、非常に低い基準を採用することには副作用がある。それは、同じ基準で判断するのならば、なんにでも効くように見えるということだ。それをグラフで表現してみた*1。
逆に考えてみると、なんにでも効くように宣伝されている治療法は、この落とし穴にハマっている可能性が高いともいえる。
教訓として単純化すると「なんにでも効くものは信用しない方が良い」という、よく聞く話となる。
有害でも
冒頭で取り上げた『代替医療のトリック』には、「瀉血」も取り上げられているようだ。この「患者の血を抜くことで症状を改善する」という治療法は、「なんにも効かない」どころか有害だった。しかし、多くの医者は瀉血を有効な治療法だと誤解していた。そこには、どんな問題があったのだろうか。
こういうことだろう。
有効な治療法であっても症状が悪化する人はいるし、有害な治療法でも症状が改善する人はいるということだ。治療というのは、改善と悪化のベースラインを上げたり下げたりするだけのものであることが多い。上の図で説明してみよう。Cさんは何もしなければ(縦軸 0のライン)病状が改善したはずの人だ。逆効果の治療を受けると、症状改善と症状悪化の境界線が上に上がってしまい(縦軸 20の赤ライン)、症状は悪化する。AさんとDさんは、効果的な治療をうけても、治療を受けなくても、さらには逆効果の治療を受けても症状が改善するということだ。
BさんはCさんの逆で、効果的な治療を受ければ改善に至るが、治療をしなかったり逆効果の治療を受けると悪化する。EさんはAさんの反対で、どんな治療を受けても悪化するということになる。
有効な治療も有害な治療も、一部を取り出せば好きなように解釈できるのだ。
効果を判定するのは難しい
ところで、特定の患者が治療を行わなくても症状が改善する患者だったのかそうでなかったのか、治療をした後に知る方法はない*2。今、同じ症状を持っている患者が同じ経過を辿るとも限らない。よく考えてみると、これは非常に難しい問題だ。ある特定の患者に対する治療結果がどう転ぼうとも、どうとでも解釈できるのだ。なんらかの理由で効くものだと思い込んでいたら*3、そこから抜け出すのは難しい。
正しい答えがはっきりと得られず、どうとでも理屈をつけられるとき、私たち人間はどこまでも間違う。逆効果の治療でも、AさんやDさんを見て効果があるとこじつけるかもしれない。効果的な治療でも、Eさんを取り上げて効果がない(又は有害だ)とこじつけるかもしれない。私たちはこのグラフのような神の視点を持っていない。
さて、この問題の解決方法を考えてみてほしい。