科学はイデオロギーと不可分か

「科学がイデオロギーに左右されるという主張があるけど、蒲田の見解はどう?」という質問を受けたので、ここで僕の考えを書いてみる。僕はこの分野について専門的な勉強をしていないし、長く科学に関する議論に関わってきた中で得た、断片的な知識*1からの話しかできないんだけど書いてみようと思った。

 

科学は客観的事実を扱う分野であるためイデオロギーとは無関係…と考える人もいると思うけれど、それほど単純にとらえてはいけないと思う。これは、科学の限界というより人間の限界って話なんだけど、僕らは「究極の真実」=「一片の曇りもない完璧な客観的事実」を知らない。知ることはできない。答えを知らないからこそ、何かを判断するときに間接的な根拠に基づいて考えなければいけないってことになる。

 

そうやって出した答えは、多かれ少なかれ「振れ幅」を持つことになるんだ*2。そうすると、どうしても究極の真実とはズレたことを正しいと考えてしまうことも出てくる。これはもう必然的な話だよね。*3「振れ幅」はわかってることが多ければ小さくなるし、わかっていることが少なければ大きくなるような感じ。

 

ところで科学というのは、その活動のなかでいくつもの暫定的な答えを出す。この暫定的な答えを出すのは誰だろう…というと人間なんだよね*4

 

「振れ幅」がある中で暫定的な答えを出すとき、そこにはどうしてもイデオロギーの影響はあるはずなんだ。そういう意味で、科学も振れ幅の範囲内でイデオロギーに左右されるとは言えそう。イデオロギーに左右されやすいかどうかは「振れ幅」次第。

 

これって別に「科学は…」なんて話ではなくて、人間が何らかの判断をする限り全てそう。科学もそこからは逃れられないってだけ。

 

で、もっと重要なのはそれでも科学は観測事実から外れた結論をずっと維持できるほど寛容ではないってこと。科学の結論は常に観測事実から監視されてるんだ。

 

誰かが「科学だってイデオロギーに左右される」と言ったとき、本当にこういった前提を共有できてるのか、僕は疑問だな。イデオロギーに左右されるのは当たり前に過ぎなくて、人間のやる判断のうちで観測事実からのフィードバックを常に受け続けるのが科学なんだから、そうでないものよりは「マシ」って考えるのが妥当なんじゃないかな。

*1:つまり体系的勉強の結果ではない

*2:ひとくちに科学といっても様々な分野があって、研究の進み具合も様々。もちろん、昔の方がわかってないことは多かったから時代の影響だってある。

*3:とはいえ、究極の真実とどれぐらいズレてるかすら、振れ幅なく知ることはできないんだけど。逆にぴったり合っている可能性だってある。

*4:現代の科学では一人の科学者が何かを決められるなんてことはそんなになくて、科学コミュニティで合意が形成されるような形で暫定的な答えが認められていく…とはいえ、これも分野次第