ニヒリストにならないための懐疑論(後編)

この文章は2007年に超常現象同人誌『Spファイル5』に寄稿した文章です。3回に分けて投稿します*1
第1回:ニヒリストにならないための懐疑論(前編) - Skepticism is beautiful
第2回:ニヒリストにならないための懐疑論(中編) - Skepticism is beautiful
第3回:今回


※話の流れに関係するので再貼り付け

体験談は常に信用できないか

体験談はやみくもに信じていいほど信用できるものではないということを書いてきました。でも「いくらなんでもそこまで不正確でもないだろう?」と感じてしまいませんか?少なくとも私はそう感じます。
例外は色々とありますが、実際のところ日常生活で繰り返し体験するような事に関しては、事象と体験談の間の差が比較的小さくなります。こういった日々の経験が体験談に対する信頼に繋がっているとしても、全然不思議ではないですよね。
ではなぜ日常的なことは比較的正確に知り、記憶することができるのでしょうか。ひとつの要因として、日常的なことは繰り返し体験することがあげられます。このことにより、プロセス図における解釈や忘却、記憶の混濁の効果が少なくなるということが考えられます。
さらに、人は明らかに間違っているとわかったことを信じることはできないという性質も関わっていそうです。日常的なことは日常的であるからこそ、間違った記憶をしていた場合に、それに気付きやすいと考えられます。つまり、現実からのフィードバックが働くことによって、より正しい情報を保持することができるということです*2
このように考えていくと、信用できない体験談の特徴を考えることもできます。簡単に言えば、繰り返し確認できず、間違っていてもその間違いに気付く事が難しい体験談は信用できないということです。
歯がゆいことですが、この特徴は「超常現象の体験談」にピタリとあてはまります。

体験談の精度を上げる

ここまで読み進められた方は、「体験談は情報としての信頼性があまり高くない」ということに納得してもらえたでしょうか。
上にあげたプロセス図では、もともとの事象をゆがめてしまう要素が沢山あることを示しました。では、どうすれば実際に起こった事象をできるだけ正確に把握することができるでしょうか?信頼性の高い情報を得るためには、どのようにすればいいでしょうか。
最も理想的なのは、事象をそのまま記録することです。そうすれば、様々な方法で何度も事象を検討することができます。例えば、ビデオで撮影するというのもいいかもしれません*3。みなさんなら、他にも色々な方法が思いつくかもしれませんね。基本路線としては、人間の記憶という方法に頼らずに、事象から得られた情報を客観的方法で記録できれば、プロセス図に描いたような情報のゆがみはかなり解決できます。
ところで、超常現象を信じている人は、科学的データは無条件で信頼されて、体験談は軽視されていると感じている人もいるのではないでしょうか。それは、誤解ではなく事実だと思いますが、その理由はプロセス図を眺めながら考えてみるのがいいかもしれません。
科学的データは、事象そのものを記録できるように、そして人間の基本仕様に左右されないように、最大限の努力が払われます。それに対して、体験談にはそのような仕組みがありません。
錯視図形のところで定規という道具を用いたように、私達は道具を使う事でしか避けられない間違いを起こす事があります。科学は人間の不正確な認知や記憶という弱点を補う道具を積極的に取り入れてきました。
つまり、科学は人間の誤りやすさをきちんと認識し、それを避けるための方法を考え、新たに道具*4を作ったり、既にある道具を巧みに使ったりしてきました。こういった努力があったからこそ、科学は信用できるのです。
実際のところ科学理論とは、体験談をまとめ、不正確な要素を削り、体系化し、より純粋な体験で再確認されたものなのです。その成り立ちから言えば「究極の体験談」とも言えます。体験談と科学は決して違う方向を向いているものではありません。
体験談の精度をどんどん高めていく事が科学だとも言えますし、精度の十分高まった体験談は科学理論になるとも言えます。科学が研ぎ澄ましてきた道具を上手に利用して体験談を料理することは、体験談を貶めることではなくて、活用することではないでしょうか。

おわりに

超常現象をやみくもに信じない考え方はうまく伝わったでしょうか。簡単にまとめれば、人間誰しも間違いやすい傾向を持っているのだから、間違いを取り除くような方法を使っていないなら、そのまま信じないほうがいいよね…ということです。
超常現象の本に書いてあるようなことは、やみくもに信じて「そういう事実があるのか」と考えるのではなく「そういう報告があるのか」という視点で見れれば、楽しみがぐっと広がるのではないでしょうか。
特に大空に力強く羽ばたく「Sp事例*5」に分類されるような事件については、こういった視点に立たない限り、切り捨てられてしまう事件になってしまいますしね。

参考文献

『目撃者の証言』E.F.ロフタス著 西本武彦訳 誠信書房
『人間この信じやすきもの』T.ギロビッチ著 守一雄・守秀子訳 新曜社
『超常現象をなぜ信じるのか』菊池聡著 講談社
『クリティカルシンキング 不思議現象篇』T.シック・ジュニア, L.ヴォーン著 菊池聡, 新田玲子訳 北大路書房
『未確認飛行物体の科学的研究 第3巻』エドワード・U.コンドン監修 仲間友紀, 金田朋子, 内山英一訳

*1:文章自体は無編集です。

*2:ただし、自分が間違っていることを言ったとしても、それを指摘してもらえる場面は想像より遥かに少ないことには注意しなければいけません。他人の間違いを指摘することは「気分を悪くする」「ヤボである」「無粋だ」「空気を読め」といったような否定的感情を生み出しやすいからです。

*3:ところで、ビデオでの記録も機械の限界による情報選別が行われていることは忘れてはいけません。例えば、カメラの角度等により見えない領域は存在しますし、温度等の情報は残りません。細かく考えると現在のところ事象をそのまま切り取ることは出来ず、部分的にしか記録する方法はないと言えます。

*4:ここで言う「道具」は比喩です。実験機器のような道具のほかに、反証可能性のないものを検討しないなどといったルールや、データを統計で処理するなどの方法も道具に含みます。

*5:Sp事例については、本書「『Spファイル』について」を参照してください。