「科学が一種の宗教に思えてならない」なんていう人は自然信仰をしているように思えてならない
「科学が一種の宗教に思えてならない」なんて記事を読んだ。
科学が一種の宗教に思えてならない
元増田の言う「宗教」って何だろう?どんな共通点をもってして「宗教」と呼ぶのだろう。そもそも宗教同士の間でも、考え方は様々で「宗教」というジャンル分け自体が、議論には向いていない。相互理解が可能な程度に噛み砕いて共通点を語ってもらわないと「何を表現したいのか、さっぱりわからない」。
元増田の周りの人が「科学を信仰しているように見える」ってことかな?
ここで私がちょっと引っかかったのは、「科学の進歩は人類の利益になる」と言うのが、当然のこととして考えられているという点。
うーん。当然なことだと考えている人ってそんなに多いのかな?科学はより良い生活を実現するために用いることができる。ここは疑いないんじゃないかな。そして、逆により悪い生活を実現するためにも用いることができる*1。
知ることによって、対処できることは増える。だから、科学の進歩によって、利益を生み出せる部分も増える。利益を潰せる部分も増える。
元増田は「医学が進歩したために死に方を忘れ」なんて書いているところをみると、もっと根源的で抽象的な「善」をみているのかもしれないね。こういう立場に立つと、どんな利点を聞いても「それって利益なの?」という切り替えしが可能なんだよね。もし有意義な話をしたいなら、はじめに元増田の考える「利益」をはっきりさせなきゃならない。
宗教を毛嫌いする人って、多分「神の存在には根拠が無い、科学的でない」と言うところで否定していると思うのだけど、私にとっては先の前提が既に宗教のように感じられる。それって本当なの?根拠あるの?
宗教を毛嫌いする理由として「科学的でない」なんていう人いるのかな?確かに、そんなことをいう人がいるなら、その人は科学信仰をしている人かもしれないね。でも、神の存在に根拠がないのは単なる事実だと思うよ。
根本的に「科学で何とかする」と言う方向性はもう絶対だ。
こんなことを書いたところで、もう後戻りできないところまできているのは分かっている。
何を求めて、なぜ後戻りしたい(又は、その方が望ましい)と考えているのか*2、さっぱりわかんないんだけど、たぶんそれって自然信仰的な考え方なんじゃないのかな?*3僕は元増田がニューエイジとかそういうのにハマりそうで、ちょっと心配だな。
もしかしたら、発展途上国かつ南国の人とかの生活が望ましいとかって漠然と考えていない?彼らの中には社会の近代化を強く望んでいる人も多いらしいよ。より高度な医療や整備された教育機関、それから情報を得られるネットワークや快適さのためのエアコンがあるような生活。
こういった問いは、これから先も中二病として処理され続ける。人によっては、こんなこと馬鹿馬鹿しくて考える気にもならないだろう。
おおいに考えていいと思うよ。でも、今の時点では「考え」というより印象論で、全部が全部漠然としすぎていると思う。まだ何も考えることができてないんじゃないかな。
それから、考えるためには知識も必要。ちょっと考えるための材料が不足しすぎているような気がする。科学も宗教も印象論でしか語ってないから、「学べ」って指摘されているんじゃないかな。