オッカムの剃刀の理解 3段階

非合理批判の場では、「オッカムの剃刀(かみそり)」という考え方が登場することがある。オッカムの剃刀とは、以下のような考え方である。

現象を同程度うまく説明する仮説があるなら、より単純な方を選ぶべきである。


Wikipediaオッカムの剃刀]」より

LEVEL 1(オッカムの剃刀は科学的真偽の判定の手段)

オッカムの剃刀でそぎ落とされる仮説は、科学的に間違いであると考える。

LEVEL 2(オッカムの剃刀は科学的真偽の判定とは無関係)

オッカムの剃刀という考え方は、真偽を追うための戦略のひとつにすぎない。
剃刀にそぎ落とされるかどうかは、仮説が科学的に正しいかどうかとは無関係である。
よって、いくつかの科学的仮説の中から一つの科学的仮説を選択する手段として使うのは誤りである。

LEVEL 3(オッカムの剃刀は科学的真偽の判定として有効)

科学的に「正しい」「間違っている」とは、蓋然性*1の高低を言い換えたものに過ぎない。
LEVEL 2の考え方は「科学的に正しい(間違っている)」という概念に、現実的ではない精度を求めているように見える。
オッカムの剃刀が真偽と無関係だといえるのは、あくまで哲学的視点*2であって科学的視点ではない。
例えば、相対性理論量子力学も科学的仮説として「正しい」が、哲学的な視点で真とはいえない*3

番外(オッカムの剃刀なんて言葉は使わない)

言葉の解釈とか定義、科学哲学などの問題に巻き込まれるのが嫌なので、オッカムの剃刀という言葉は使わない。

*1:もっともらしさの度合い。どの程度、正しいという根拠があるか、間違っているという根拠があるか。

*2:ここで言う「哲学的視点」は、科学的方法論に批判的な古典的科学哲学を表す。最近の科学哲学ではべイズ推定などの考え方を取り入れ、科学的手法がある程度妥当な方法であると判断しているようだ。

*3:下手すると、明らかに限界があるということから、哲学的には偽といえるかもしれない(どう解釈すべきかはよくわからないけど)