説得の方法を考える(そしてやはり挫折するかも)
さて、説得について偉そうなエントリを上げてきたので、実際に使える方法の提案まで進めるのが望ましい事だと思います。しかし、数多の偉大な先人も成功してきたとは言い難いトピックですので、私が挫折したところで、何の不思議もないでしょう*1。
前提事項
まず、今回考えている説得対象には悪意がないことを前提にします。相手がわかっててやっている場合の対処については、検討したことがないので何も分かりません。「善意でのニセ科学蔓延は難しい」という話がありますが、少なくとも説得という観点からは、善意であることの方が望ましいのではないかと思います。
主張の説得力とは
私たちは事実と正しい論理展開を組み合わせた主張は「自動的に」説得力を持つと考えがちです。しかし、それは説得力の要因のひとつに過ぎません。実際のところ、客観的な知識やデータだけで説得できるのならば、特に説得に困ることはないはずなので、問題すら起きません。
多くの場合に説得が難しいのは、事実と正しい論理展開だけでは説得できないからです。
ポイントは3つ
インターネットなどの議論における実体験から、説得のポイントを3つ考えてみます*2。
- 注目
まずは自分の意見に注目してもらわなければ何も始まらないので、なんとか注目してもらえるようにします。短めの文章で、なんとか自分の投稿に注意を向けてもらいましょう。
- 共感を伴う説明
客観的表現に終始した説明は、分かりやすい場合であっても共感という感情を引き出せません。他人事や現実から離れたところの話に捉えられがちです。
本来、淡々とした客観的な説明は、シンプルで理解しやすいはずですが、実際は投稿に感情を込めた方が、説得力をもった説明に捉えられる場合が多いように思います。無駄が多くなってもです。
これはおそらく、感情を伴う方が「リアル」だからです。
- 逃げ道の用意
人は、追い詰められると、なるべく現状を維持したまま逃げに走ります。新たな情報を提示されることで、「住めば都」状態である今までの認識が変えられてしまう事を嫌うわけです。
自分の今までの認識と違う事実の説明をされるわけですが、それがきちんとしていて分かりやすい程、追い詰められ、逃げ道探しも必死になるわけです。
逃げ道を閉じるのではなく、新たに用意するぐらいの気持ちで臨む必要があります。
そして殆ど説明できていないことに気付く
ここまで書いてみても、実質的にはなにも説明できていないことに気付きます。客観的根拠をあまり伴わない、体験談的な説明に過ぎません。挫折しなければ、今回の話についての心理学的な要素(考察)も書いてみたいと思います。