それでも私は彼らをバカなどではないと言い続けるッ!!

トラックバックいただいたバカへの信を問う - モジモジ君の日記。みたいな。というエントリを受けて*1

id:mojimojiさんが自分の中にしかない自分定義で「バカであるその人を目的とするようにバカにしろ」と主張するのと同じように、私は私が勝手に一般的な「バカ」の用法だと思っている「バカ」という単語を使い「彼らはバカではない」と言う。

個人個人が、id:mojimojiさん定義の「バカ」を用いるのならば、誰一人「バカ」でない人は居なくなるだろう。


「全ての人間はバカである」


それはレトリックとしては面白いかもしれないが、対話をしようとするのなら無駄にギラギラと派手な表現に思える*2

id:mojimojiさんは、「バカはバカなりに人間として人間的に生きているんだ。対話しようではないか。」と言うだろうが、私は「彼らと僕らではない。ましてやバカと賢い人なんかでもない。同じ人間なんだから対話しようではないか。」と言い続けよう。

ニセ科学や超常現象、オカルトなどを信じている人が単なるバカではないということについて
(中略)
問題は、信奉者の動機や意思の比重が大きくなりそうです。

信奉者は批判的思考を扱えないわけではない - Skepticism is beautiful

追記

全ての人間はバカである - 酔狂人の異説というトラックバックを頂いたので追記。

自分もその「バカ」の一人という「覚悟」があれば、「全ての人間はバカである」と言ってもいいと思う。

そういう価値観があってもいいでしょうし、表現の仕方が違うだけとも言えると思います。ただ、私はそれを対話という場面では誤解を生む派手なレトリックとしか考えていないということです。
私なら、「人間は誰しも完璧じゃないのだから、誰でもいつか必ず間違える。」と表現します。
私は徳の高い人間ではないので、殆どの場合「バカ」と言われたらそれが単なるレトリックであっても感情的な反発を覚えてしまいますから。つまり、価値観の違いです。

私は批判者が信奉者から論者として信用されるために - 地獄のハイウェイ - Yahoo!ブログという記事に同意しますし、批判的思考のあり方という方向から何か書くかもしれません。

*1:「バカ」という表現で釣られただけでしたね…。

*2:この言説が内包する情報量はゼロであるがパワーだけはある。