信奉者は批判的思考を扱えないわけではない

ニセ科学や超常現象、オカルトなどを信じている人が単なるバカではないということについては、もうちょっと掘り下げてみてもいいかもしれないと思ったのでさらに書きます。

思考のバイアス

心理学では、結論をもっともらしいと感じる意見は批判的思考*1にさらされにくく、結論がうさんくさいと感じる意見は批判的思考にさらされやすいというバイアスが確認されています。

そのため、自分が結論に同意している場合は、たとえ結論に至る論理展開がおかしくとも批判的思考が働かず認めてしまう傾向になり、結論に同意できない場合は、論理展開がそれほどおかしくなくとも厳しく批判的に検討する傾向になります。このことにより、第一印象がうさんくさいものだった場合、真面目に検討を加えてもよりうさんくさいという印象を強めてしまうというアンバランスな傾向になります*2

信奉者を見てみると

実際に信奉者の中には、懐疑論者より厳しい基準で自分の信念に反すること*3を扱う人もよく見かけます。このときの信奉者の基準を、論理的なのか非論理的なのかと考えてみると、意外に論理的であることに気付きます。

信じることに関しては非論理的*4であり、疑うことに関しては論理的ということで、明らかなダブル・スタンダードではあるものの、信奉者が批判的思考を扱えないわけではないことが分かります。

信奉者との議論を多く経験したことがある人ならば、信奉者が批判的な意見に対して論理的な反論をいくつもすることを知っていると思います。確かに、信奉者の論理は色々な間違いを含んでいたり、質が良くないことも少なくないかもしれません*5。しかし、それを信奉者自身の信念に働かせれば、十分懐疑的な人になり得るぐらいのレベルでは論理的です。

信奉者の動機・意思の問題が大きいのではないか

このことから言えるのは、軽信に陥っている信奉者が単に論理的思考や批判的思考を扱えないという問題ではないということです。

信奉者と懐疑論者は、彼らと僕らではありません。同じ人間です。互いに論理的で、互いに思慮深いのです

人間は意外と合理的 - Skepticism is beautiful

というわけですね。となると問題は、信奉者の動機や意思の比重が大きくなりそうです。ここら辺になると、論理的であること、科学的であることなどから視点がずれるわけですが、実はそれこそが本質なのだと言えるのかもしれませんね。

*1:クリティカル・シンキング(Critical Thinking)のこと

*2:いわゆる確証バイアスの要素ですね

*3:つまり、懐疑論者の主張

*4:例えば、UFO報告について他の合理的解釈に問題が残っていることを理由に、積極的根拠なく宇宙人来訪説(ETH)を信じるなど

*5:おそらく、そこは熟練度の問題でしょう