ニヒリストにならないための懐疑論(中編)

この文章は2007年に超常現象同人誌『Spファイル5』に寄稿した文章です。3回に分けて投稿します*1
第1回:ニヒリストにならないための懐疑論(前編) - Skepticism is beautiful
第2回:今回
第3回:ニヒリストにならないための懐疑論(後編) - Skepticism is beautiful

重要視される体験談

ところで、超常現象の話題で最も印象的な「証拠」はなんといっても体験談ではないでしょうか?超常現象の話では、体験談が最も直接的で強力な証拠とされる場合が多いと思います。超常現象はそんなに都合よく何度も起きませんし、異常な物理的痕跡が残る事も殆どないようですからね*2
とても残念なことですが、超常現象は電車内の痴漢と一緒で、体験者の証言ぐらいしか頼るところが無いのが現実です。証拠が重要視される実際の法廷でも、証言が証拠として採用されているのですから、超常現象でも体験者の証言である体験談が重要視されるのは普通のことではないでしょうか。むしろ体験談を軽視する方が異常かもしれません。
海外で行われた調査では、40%〜50%の人が自分又は身近な人の体験を、超常現象を信じるようになった理由としてあげています。このことからも、体験談が重要視されていることが伺えます。
体験談というキーワードは超常現象を考える上で外せないもののようなので、体験談の構造を知る事や、本当のところ体験談がどのぐらい信用できるものなのかということを考える必要がありそうです。

ちょっと驚く体験談の実例

霊体験などについてなら、友達などからでも多くの体験談を聞くことができるのではないでしょうか。軽く想像しただけでも、体験談を全て信用した場合に目の前に広がる世界と、信用しない場合に目の前に広がる世界には驚くほどの違いがあります。ちょっと想像してみてください。
ではどちらが現実の世界に近そうでしょうか。体験談はこんなにも信用を集めているにも関わらず、私は体験談を信用しない世界の方が現実に近いと感じてしまいます。これは人によって全然違う答えが返ってきそうですね。
認知心理学者などの研究のおかげで既に明らかになっていることだけでも、体験談には様々な弱点があり、証拠として用いるのはあまり勧められることではないようです。
次の項目では、体験談の構造を概観しますが、その前にその構造に示した様々な要因を全て含んでいるのではないかと思われる体験談を見てみましょう。1968年のひとつの事件に対する複数の目撃報告です。これは『未確認飛行物体の科学的研究第3巻』からの抜粋引用です。

  • 物体の性質
    • 「降下し、それから見事な編隊で前方に進んでいました。破片が重力に逆らえるのでしょうか?」
    • 「物体の経路が水平だったので物体を衛星の破片や流星だとは思いません。」
  • 物体の出現
    • 「目撃者は皆……翼のない細長いジェット機のようなものを見ました。前も後ろも燃えていました。目撃者は皆、窓がたくさんあるものを見ました。……もしUFOに誰かが乗っていて、窓の近くにいれば、見えたと思います。」
    • 「太い葉巻のような形に見えました……。こちらから見える側には四角い窓があるようでした……。機体は多くの板で構成されていて“リベット”打ちされているようでした……。“窓”の内側から光が漏れているようでした。」
    • 「普通のお皿を逆さまにして上部の出っ張りをなくしたものという感じです。皿よりもすこし細長かった。底の真ん中が出っ張っていて、それは底の半分程度ありました。」
    • 「炎は見えませんでしたが……金色の花火がたくさん見えました……。私の考えでは、それはライトが3個ついた固体燃料ロケットか、3個の楕円形の円盤型の飛行体です。」
    • 「あきらかに円盤型をしていました。」
  • 編隊飛行
    • 「間違いなく軍用機の編隊飛行でした。」
    • 「1個の物体がもう1個を追跡しているように見えました。追跡されている方が速度が速いようでした。追跡側は……もう1個の方を撃墜しようとしているように見えました。」
  • 距離と範囲
    • 「だいたい木の高さ付近で、非常にはっきりと見えました。数ヤードしか離れていませんでした。」
    • 「私たちは、尾をたなびかせた2個のオレンジ色の光体を目撃しましたが、その距離は2ヤードほどでした。」
    • 「自分の町の南にある雑木林に墜落したと思いました。」

このとき目撃されたものは、ゾンド4号*3の大気圏再突入の光景であったことが判明しています。これは非常に目立つものだったので、上の証言をした人達が目撃したものが、ゾンド4号とは別のものだったという可能性はまず考えられません*4
この体験談を読むと、高空で燃えながら落ちる複数の破片を見たはずなのに、体験談として語られるときには、もう何らかの航空機または宇宙人の乗り物(エイリアン・クラフト)としか考えられないような話になってしまうことが分かります。距離も相当離れていたはずなのに、かなり近かったと考えている人がいたようです。
事実と体験談の間に存在しこれだけの違いを生み出すプロセスを考えてみましょう。

体験談の構造を概観する

体験談とは一体何なのでしょうか。ここでは体験談を「ある人物が体験したことを語った報告」という視点で考えてみることにします。実際の出来事をある人が体験した場合、起こった出来事(事象)と体験談の間には図のようなプロセスがあります*5

このプロセス図を見ただけで、ある程度理解してもらえるかと思いますが、体験談の記録は実際に起こった事象の記録ではありません。事象から得た情報を様々な方法で加工したものだと考えた方が適切です。
UFO界のガリレオと言われるJ・アレン・ハイネック博士はUFOの研究について「UFO研究とはUFO目撃報告の研究である」といった趣旨のことを言っています。
つまり、できるのは体験談の研究でしかないということです。そして、わざわざ分けて考えるのは、起こった事象と体験談の間には無視できない違いがあるということです。ゾンド4号の件でもこれは理解していただけるのではないでしょうか。
このことはUFO研究に留まらず、超常現象の多くの場面に当てはめることができます。なぜなら、それはUFOの問題ではなく、体験談の情報処理の問題だからです。
「また聞き」はこの問題をさらに大きくします。体験談が人づてで伝わるときには、プロセス図の出力である体験談が、次の人の事象となってしまいます。このことにより、再びプロセス図のような複雑で変化しやすい情報処理を通ってしまうことになるからです。単純な伝言ゲームでもうまくいかない*6ことからわかるように、このような情報伝達は、うまくいく可能性がかなり低くなってしまいます。
私達が普通に聞く体験談というのは、紛れもなく上に書いたようなプロセスを通ったものです。さらに注意しなければいけないのは、体験談として聞いた人だけでなく、体験者ですら他人に伝える直前の状態まで変化した情報しか知る事ができないということです。体験談は事実と大きく違うかもしれませんが、体験者は決して嘘やデタラメを言おうとしているわけではないということですね。
こういった、実際に起きた事象の記録ではなく、色々と変化した情報しか持つ事ができないという性質は、誰もが平等にもつ人間の基本仕様というわけです。
このような問題を知らないのならば、体験談をもとに超常現象を信じてしまうということは、全く異常なことではないと思います。その方が自然だという捉え方が正しいかもしれません。
体験談の問題点が少しは整理されたでしょうか。このプロセス図はあまりに抽象的過ぎて、分かりにくい点もあるかもしれません。情報のゆがみの原因となる個々の要因については、次回以降の機会があれば掘り下げて解説したいと考えています。

*1:文章自体は無編集です。

*2:異常でないものでよければ結構あるようです。

*3:ゾンド計画は、米国のアポロ計画のライバルとなるソビエトの有人月探査計画のひとつです。正確にはソユーズL1計画として「有人月接近飛行」を目的とされており、ソユーズL3計画の「有人月面着陸」を目的とした計画とは別です。

*4:もし仮にそのようなことがあるとすれば、ゾンド4号の再突入の光景もUFOとは別に同時に見えたはずです。もちろん、そのような報告はありません。

*5:網羅的ではないですし、一般的な心理学の分類とは異なる分類を使っています。そういった意味で不正確かもしれませんがお許し頂ください。通常、心理学では記憶過程を獲得期・保持期・検索期の3段階に分けるようです。

*6:伝言ゲームではこのプロセスよりもだいぶましです。情報選別の必要性が低いこと、次に伝える時間が短いために、記憶を通すことによる情報の欠落が起きにくい(それでもかなり起こる)こと、また事後情報による記憶の汚染が起こらないこと、それから誇張や演出が加えられる可能性が低いという性質があるからです。