で、それはどなたのことで?
十字軍はバカに勝てるか - モジモジ君の日記。みたいな。というエントリを読んだ。本文が長いので、まずは自分用にまとめます。尚、id:mojimojiさんの疑似科学の定義がオレオレ定義であることが判明しているので、疑似科学という言葉は用いず「ニセ科学とその周辺に存在する議論の問題」という意味で、ニセ科学を用いることにします*1。
「十字軍はバカに勝てるか」の自分用まとめ
ニセ科学を信奉する人をバカとして論じます。
- ニセ科学は問題である
- バカに悪意は無い(悪意がないから問題ないわけではない)
- バカである
- バカはまず治らない
- バカが行動を変えたとしてもバカじゃなくなったわけではない
- バカは科学を理解できない
- 批判の内容を理解して考えを変えるのは(バカに見えていても)賢い人だ
ニセ科学批判者に対しては以下のような感じ
- バカがニセ科学を信じるのは(批判者が考えるほど)不思議なことではない
- 自分の頭を基準にして考えるから不思議なのだ
- (それを理解しない批判者は)バカの存在を認めたくないだけだ
- (それを理解しない批判者は)自分がバカであることを恐れている
- (恐れているので)自分以外のバカを見つけて罵る
- バカを散々バカにして、最後は切り捨てている
- 切り捨てているから罵詈雑言も好き放題
- 弱者の代弁者気取りで主張するのってどうよ
現状認識と対処法についてです。
- 世の中にはバカが多い
- バカを切り捨てたらニセ科学は蔓延したまま
- バカを切り捨てる批判者は賢い人だけの理想郷でも夢見ているのか
- (前言撤回)バカをバカでなくするしかない
- バカを批判してもいいが、切り捨てるな。向き合え。
- バカに学べ
信奉者について
私は、id:mojimojiさんが言うほどバカが多いとは思いません。残念ながらまだこのブログで書いていないことが多いので適切な引用ができないのですが、それでも以下のような事を書いています。
超常現象やニセ科学の信奉者に対して(歯に衣着せずにいえば)頭が悪いとか、合理的思考ができないという評価をしている人がいます。確かにそういう例は皆無ではないでしょうが、多くの場合これはナイーブ過ぎる見方ではないか?というのが私の考えです。
信奉者は、自分の世界観や知識に合致する前提を持って思考の展開をしているだけであって、単純に非論理的だったり、頭が悪かったりするわけではないのです。
そして、問題は持ち合わせている知識であるという主張を書きました。『疑似科学入門』は、持ち合わせている知識次第で、優れた知能であってもダメな結論にたどり着くということを証明したように思います。
この話は、このブログで掘り下げていくメインテーマなので、ここで全て書くことはできませんが、「僕らの問題と彼らの問題」と捉えるid:mojimojiさんは、自分がバカであることを恐れ、自分以外のバカを見つけたのでしょう。
ニセ科学批判者について
モデルは誰でしょう?id:NATROMさんがid:mojimojiさんのモデルとする批判者だとするのならば、「疑似科学批判者」などと言わずに名指しでするのが良いと思いますよ。
これはid:NATROMさんも含めてですが、ニセ科学批判者は信奉者がニセ科学を信じていることを不思議がっていないのではないかと思います。おそらく本気でやっている人は、思考のバイアスとかそういった方面の心理学通俗書ぐらい何冊か読んでいると思いますし、そういったバイアスから誤った信念が生まれることも知っているでしょうから。
ニセ科学批判者と呼べるような人で、罵詈雑言を並べ立てている人がいるようだったら教えてください。その人がバカでないようならば、「迷惑なのでやめてください」ぐらいは言いに行くかもしれません*2。
結論について
最終的な主張は悪くないと思います。それがニセ科学批判者一般へと向けられたとき、単なる藁人形論法になっているのでは?というだけで。
クリティカル・シンキングに関して、義務教育レベルでの対処が必要であるという話は、ニセ科学批判の中でよく出てくる話題です。これもまた、このブログで語っていこうと考えている話題です。
ただ、短期的視点での問題対処、中長期的視点での問題対処というふたつの視点があることをは踏まえておいた方がいいかもしれません。
もしかしたら
こういうことなんでしょうか?
どうも非常に個別的な事例から一般化された(あるいは、一般化と読めるような)主張をしてしまったらしい、ということが明らかになることが結構あります。