ニセ科学と科学を分けるもの

「alpha24@はてなダイアリー」さんのところで、「前言撤回の人生」というエントリを読んだ。出だしはこうだ。

科学的思考の本質は前言撤回にあることに気がついた。

そう。実は科学的思考には間違いが避けられない。科学とは「間違わない方法」ではない。これは当たり前のこと。人間は全知全能ではないから、例外があったとしても、我々がそれを知っているとは限らないという理由による。もっと正確に言えば「間違い」ではなく、「精度の低い結論」と呼んでもいいかもしれない。

ニセ科学業界では有名なapj氏は次のように語っている。

科学は自然の近似である、正しいかどうかは精度の問題である
Condensed Matter Research Groupのコメント欄参照

科学は「今、分かっている最大限の事実」に矛盾しない結論を暫定的結論とするため、今まで分からなかったことが新たに分かれば、その結論が常に更新される可能性がある。この業界の言葉で言えば、新たな事実によって「反証」される可能性があるということだ。これが、反証可能性という考え方である。このことから導かれるのは、精度無限大の真実は、全知全能の神以外にはアクセス不可能だということである。

科学的理説というのは将来にわたって反証され得る可能性を含んだ形で未来に向けて開かれていなければならない。

というわけで、「開かれていなければならない」というよりも、合理的に考えれば「開かれていないのは、どこかがおかしい証拠」だと考えることもできるわけである。これが、科学で反証可能性のない理論を門前払いする理由である。


で、本当に言いたいのはここからだ。反証可能性は科学から門前払いされる大きな理由にはなっても、科学とニセ科学の線引き基準としてはナイーブすぎるということである。こう問いかけてみると、それは明らかになる。


「反証可能であれば科学と呼んでいいか?」


そんなことはないというのが普通の考え方である。では、ニセ科学と科学にはどのような線引きができるのか?と問いたくなるかもしれない。これについては、かなり面倒な話になってしまうので、『疑似科学と科学の哲学』を読んでいただくのが一番だと考える。

結論だけ言うと「ニセ科学と科学には厳密な線引きはできない」ということである。しかし、誤解して欲しくないのは、区別できないというわけではないということだ。白は無限のグレーを経て黒に至るが、白に近いグレーと黒に近いグレーは、全く違うものなのだから。

ちなみに、現在、多くの科学者から「ニセ科学」と批判されているようなものは、非常に黒に近いグレーで、白とは見間違えようの無いものだということも言っておくべきだと思うので、書いておく。