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血液型性格判断FAQ -終わりに-

 血液型性格判断の研究結果は「血液型と性格の間に相関はないと決着済み」から「相関があるとはいえない(わからない)」までの幅があるものの、相関があるという結果は出ていません。

 それでも血液型性格判断が正しいと信じるのは自由でしょう。しかし「実際には血液型と性格には性格判断ができるほど強い相関があるが、科学的に認められていないだけだ」と考えてしまうのならば、それは端的に言って間違いでしかありません。

 明らかな間違いを避けるなら「血液型と性格には相関はないけれど、血液型から性格の傾向を判断できる(性格から血液型を当てられる)」という信じ方にならざるを得ません。これは即ち超能力のような力を想定するということになります。現在において、血液型性格判断が正しいと主張することは超常現象を肯定するような考え方であるということです。

血液型性格判断FAQ -3-

血液型正確判断FAQの3回目です。

以前のエントリはこちら。

血液型性格判断FAQ -1- - 僕と懐疑の関係

血液型性格判断FAQ -2- - 僕と懐疑の関係

今回は、主に血液型性格判断を否定する側の疑問に答えます。

Q. 人間の性格は複雑なのに、A,B,O,ABの4つに分類できるなんておかしいんじゃないですか?

 分類が少なくなれば、その分類を使った分析も大雑把なものにならざるを得ませんが、だからといって分類できないということはありません。

 例えば、心理学では5因子モデルというモデルが使われる場合があります。このモデルを使って全ての因子を+とーに分類すれば、性格が32種類に分類できることになります。4種類よりは多いですが性格の複雑さを考えれば32種類でも十分に少ないでしょう。

 また、網羅的な分類を求めないのならば外交的か内向的かといったように2種類に分類しても問題はありません。

 そもそも、分類というのはある基準を設けて複雑なものを大雑把に分ける方法なので、種類が少ないこと自体は問題ではありません。問題になるのは基準の設け方とカテゴリ振り分けの正確さということになります。

Q. 血液型の分類の方法はABO式だけではないのにABO式血液型だけを見て性格を分類するのはおかしくないですか?

 様々な血液型分類方法の中でABO式血液型だけが性格との相関関係を持っているとしても、それだけでおかしいと判断することはできません。また、私の知る限りではABO式でない血液型と性格の相関関係は調査されていませんので、相関関係があるともないともいえません。

 ABO式血液型だけが性格との相関関係をもっているとしても、ABO式でない血液型が性格との相関関係をもっているとしても、そのことだけでは現在の血液型性格判断の信頼性には影響を与えません。ABO式血液型に影響を与える遺伝子と性格に影響を与える遺伝子が同じものなのかもしれません。そしてその遺伝子はABO式血液型以外の分類方法の血液型には影響を与えないのかもしれません。

Q. 私は血液型を当てられたことがありません。だから血液型性格判断なんて嘘ですよね?

 特定の人の血液型が当てられなかったという事実から言えるのは100%の精度で当てることができないということだけです。血液型性格判断が正しいと主張する人でも100%の精度で当てることができると主張する人は少ないのではないでしょうか。

Q. 血液型が性格に影響するようなメカニズムなんて無いんでしょ?

 確かに血液型が性格に影響するようなメカニズムは判明していません。しかし、そのこと自体で血液型性格判断を否定するのは間違いです。こういった問題は「いかにして問題」と呼ばれます。

 例えば、ある薬を二重盲検法で調べた結果、よく効く薬であることが判明したが、メカニズムの解明は進んでいないとします。二重盲検法では、効くか効かないかは分かってもメカニズムは分かりません。この状態で薬の効果を否定してしまうのは単純に間違いです。

 同じように、メカニズムがわからないからといって血液型性格判断を否定することはできません。メカニズムが不明なままでも血液型間に判断できるだけの性格の差があることがはっきりと分かれば問題ないのです。

Q. 血液型性格判断が本当なら、骨髄移植で性格も変わっちゃうんじゃないの?

 例えば、骨髄移植で変わってしまう血液型そのもの(赤血球の抗原の型)ではなく、そういった抗原の型を決める遺伝子が性格にも影響しているというメカニズムであれば、骨髄移植で血液型が変化しても性格が変わらないということが起こりえます。他にも骨髄移植で性格が変わらないメカニズムを考えることはできるでしょう。

 また、骨髄移植で血液型が変わってしまうと性格も変わってしまうということがあってもいいでしょう。それだけでは特に血液型性格判断を否定する根拠にはなりません。

 どちらにせよ、血液型性格判断が有効であるということが示されていない状況で、メカニズムの話をしてもしょうがないといえます。例えば「A氏は空を飛ぶ超能力を持っている」という主張があった場合、本当にA氏が空を飛ぶことを確認できないのに、空を飛ぶ超能力のメカニズムをうんぬんしてもA氏の能力を肯定することにも否定することにもならないのです(蓋然性の高低を見るという意味では無意味というわけではありません)。

Q. 統計的な差異(有意差)って全然無いんでしょう?

 あるという結果も少数ながらあります。しかし、血液型ステレオタイプの影響が質問紙の答えに出てしまった可能性などが指摘されており、血液型と性格の関連を実証する再現性の高い差とはいえないようです。

 また、有意差があるというデータでもその差は極僅かに留まっており、血液型から個人の性格を類推できるような結果ではありません。「Q. 統計的な有意差があるなら、性格から血液型を当てたり、血液型から性格を予想したりできますよね。」も参照してください。

Q. 「血液型に対する俗説や固定観念」が、逆に特定の血液型の人に影響を与えて本当にそういった性格に導いてしまう可能性はあるのでは?

 確かにそういったことがあってもおかしくありません。一部の調査では血液型ステレオタイプが質問紙の答えに影響しているのではないかと考えられる例もありました。しかしそういった結論は多数派ではなく、多くの調査では統計的な有意差がないという結論になっています。

 私個人の意見を言わせてもらえば、血液型性格判断で言われている俗説や固定観念の表現と全く同じような質問紙(アンケート)項目を用意し、最初に血液型を書く項目を用意すれば、自己申告の性格も血液型性格判断に沿ったものに偏る可能性は十分あると思います。しかし、通常の心理学の調査では血液型性格判断に沿った項目ではなく、心理学で用いられる性格傾向の質問を用いるため検出されないのかもしれません。

(追記 2017/5/8)

 以下の研究によると「90年代以降、山崎・坂元の結果は固定化(血液型による違いが安定化した)し、かつ2000年代以降は分散も小さくなり、血液型による違いが統計的に明確に優位であることが示された」とし、これが血液型性格判断自己成就予言として社会的に悪影響を与えているとしています。

『教員養成課程における科学リテラシー構築に向けた疑似科学の実証的批判的研究』

https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-22650191/

 ただ、私としてはこの結果が示すのは性格がそう変化したということではなく、性格の自己申告が偏っただけではないかとの疑問を持っています。どちらにせよ論文が「有意ではあるが、違いの大きさはごく微小であり、日常生活で「使える」ほどの大きな違いにはなっていないことも示された」とするように、血液型性格判断が正しいと信じることにより統計的な有意差が生じているとしても、現状、血液型性格判断が正しいというわけではないことに注意してください。

 

 

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血液型性格判断FAQ -2-

血液型正確判断FAQの2回目です。

1回目はこちらです。「血液型性格判断FAQ -1- - 僕と懐疑の関係

Q. 統計的に有意な差があるのならば、性格判断は正しいのでは?

 前の項目で示したように、ランダムなデータであっても「差異」は生じてしまうことが分かります。むしろ全く差が出ない方が不思議です。ただし、印象論ではなく「統計的に有意な差」であれば、単なる偶然で生じる可能性は少なくなります(正確には、標本数 標本の大きさと有意水準の設定の問題などがあり、単に「有意差」という言葉だけでは何も言えません)。しかし、それでも試行回数を多くすれば、いつかは必ず「統計的に有意な差」も生じてしまいます。

 問題はその「統計的に有意な差」が、一貫性をもって繰り返し観察されるかということです。例えば「積極性」という性格傾向に血液型間の統計的に有意な差が検出された場合でも、あるときはA型が高く、ある時はB型が高い…といった状況では、特定の血液型と特定の性格が関連付かないため、血液型性格判断の根拠としては使えません。

Q. 統計的な有意差があるなら、性格から血液型を当てたり、血液型から性格を予想したりできますよね?

 原理的には、正答率を上げることはできます。しかし「エフェクトサイズ(効果量)」の問題があり、どれぐらい正答率を上げることができるかはエフェクトサイズによります。
 エフェクトサイズを理解するために参考になるリンクは以下です。 http://transact.seesaa.net/article/105216733.html

  話を簡単にするため、日本人全体を母集団として「外向性(外向的である/ない)」と血液型の関係を調べたという仮定での話をします。

 この前提で「外向的である」と判断されたグループも「外向的でない」と判断されたグループも日本人の血液型分布と同じ分布(A型 : 約40%, O型 : 約30%, B型 : 約20%, AB型 : 約10%)になる場合、統計的な差が全くないと言えます。ここでは日本人の血液型分布を4:3:2:1の比率だったと仮定し具体的に言うと、調査対象が20万人であれば、「外向的である」グループも、「外向的でない」グループも、A型4万人, O型3万人, B型2万人, AB型1万人の場合、統計的な差が全くないということです。

 実験した結果、以下のような結論が得られたと仮定します。この結論から明らかにB型は外向的であり、A型とO型は外向的でないことがわかりました。統計的にも信頼度99%以上で有意な差です。

    外向的である:A型3.9万人, O型2.9万人, B型2.2万人, AB型1万人
    外向的でない:A型4.1万人, O型3.1万人, B型1.8万人, AB型1万人

 さて、このような仮定をおいた場合に、統計的に有意な差があるから、血液型から性格を当てられる、または、性格から血液型を当てられるということになるでしょうか。

 血液型がA型の人の性格は「外向的でない」といったとき、4.1万人には当てはまりますが、3.9万人には当てはまりません。つまり、どっちを選択しても当たる確率は50%前後でしかないのです。

 逆に「外交的な性格の人」は何型でしょうか?確率的にはA型と答えておくのがもっとも当たる確率が高いのです。もっと言えば「外交的な性格でない人」は何型かと推測する場合もA型と答えておくのがもっとも当たる確率が高いということになるのです。

 つまり、統計的に有意な差異があっても、それだけで「個人の性格が当てられる」「血液型が当てられる」とは言えないということです。

Q. 多くの研究者が同じ血液型には同じ性格を当てはめているよ

 異なる研究者が同じ性格を当てはめているなら、その分類にも一定の根拠が有りそうに思えます。

 しかし、実際に検討してみると同じところもあるようですが、代表的な少数以外は一致していないようです。たとえ一致していたとしても先行する主張を引き継いだだけの可能性もあり、血液型性格判断が正しいという根拠としては使えないといえます。
「疑似性格理論としての血液型性格関連説の多様性」

http://ci.nii.ac.jp/naid/110006782108


Q. 血液型が性格を形作るメカニズムも色々と説明されているよ。血液型によって性格が変わるのは進化的説明もできます!

 説明ができることと、その説明が当たっているかは独立して考えなければいけません。説明できたとしても、その説明が正しくなければ意味はありません。全くメカニズムを構築できない理論よりは、メカニズムを構築できる理論の方が見込みはありますが、その理論が正しいかどうかとはやはり別問題です。

 血液型によって罹りやすい病気があるのならば、性格的なものにも影響を及ぼしてもおかしくないといった主張もありますが同じことです。まずは性格に差が出るということが確認されるのが先です。

 そもそも血液型によって性格が違うという前提部分に議論がある状態で、メカニズムをうんぬんすることは建設的ではありません。

Q. 話のきっかけに使ってるだけなのに、目くじらをたてるような問題ですか?

 確かに単なる無根拠な占いのような感じで使われている場面の方が多く見受けられます。今回のFAQでは、占いに類するものは扱わないという前提ですので、問題視しません。ただ、表面上はそうであっても、一旦批判されると熱心な信奉者の面が出てくる場合もあるので(科学的に証明されているという主張を始める人もいる)、本当に単なる占いとしか思っていないのか、真意は批判されるまでわからないかもしれません。

 あなたが不利益を蒙る状況を想定してみてください。例えば、社会的にも問題のある行動で、あなたが生理的に嫌悪するような行動(仮に「行動A」とします)があったとします。あなたは、「行動A」に嫌悪感を抱いているので、絶対にそのような行動はしません。そういったとき、血液型性格判断で「あなたの血液型の人は行動Aをとりやすい。」などと書かれていたらどんな気分になるでしょうか?また、知人から血液型だけを根拠に「行動Aをとりやすい人なんだ」と思われるとしたらどうでしょうか?

 しかもそれは単なる迷信ではなく、いくばくかの根拠があるのだと主張されたとしたら。

 

※このエントリは次へ続きます

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血液型性格判断FAQ -1-

血液型性格判断とは何?

 血液型性格判断とは、ABO型の血液型から人の性格を分類でき、その分類が妥当であるという主張のことです。通常は心理学的な分類というよりも「A型は几帳面、O型は大雑把」などのような、単純なステレオタイプとしての分類のことを指しています。多くの場合は、どの職業に向いているなどという高度に複雑な要因に影響するまで大きな相関があると考えます。また、性格からABO血液型を類推できるという信念にもつながっています。

 実は、血液型性格判断を肯定する人、否定する人の間でも様々な解釈があり、厳密な議論において混乱しない程度の共通認識は存在しないというのが本当のところです。一口に血液型性格判断と言っても、占いと殆ど見分けがつかないようなものから、ごく小さい統計的なデータの偏りの話まで、話し手によって指しているものが違います。

 「血液型性格相関説」と「血液型性格判断」を全くの別物として扱う人もいますし、そうでない人もいます。

 多様性について詳しく知りたい方は以下の論文を参照してください
「疑似性格理論としての血液型性格関連説の多様性」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/personality/15/1/15_1_33/_pdf

扱うものと扱わないもの

 このFAQでは扱う対象と扱わない対象があります。扱うのは、客観的根拠があるように主張されている血液型性格判断で、扱わないのは占いと同じような使われ方をしている血液型性格判断です。

扱うもの
  • 血液型からある特定の人の性格が分かるという説
  • 性格から血液型が分かるという説
  • それらに客観的根拠が存在するという主張
扱わないもの
  • 血液型占い
 
Q. 自分や知り合いを見ると関係あるとしか思えないよ?(当たっているように見える理由)

 これから説明しますが、血液型性格判断になんらかの肯定的な感情を持っている場合「関係あるようにしか思えない」と考えてしまうのは自然なことです。しかし、それが客観的事実に基づいているかどうか?という話になると、あなたが抱いた印象とはかなり違う場合があります。

 人間は間違ったことを信じてしまうことがあります。そのメカニズムの一例として「確証バイアス」というものがあります。血液型性格判断は当たるという先入観が存在すると、その先入観に当てはまるものはよく目につき、先入観に当てはまらないものは無視されてしまうということが起きます。このことによって、総合的に血液型性格判断が当たっているという印象が強められます。

 また、「バーナム効果(フォアラー効果)」というものも知られています。たとえば、あなたの血液型がO型だったとします。このとき「O型はこのような性格傾向があります」というように文章を提示されると、それが自分によく当てはまるような気がしてしまう方向に誘導されてしまいます。

 さらに「後知恵バイアス」というものも影響している場合もあるでしょう。ある結果が得られたとき、その結果がわかってから「そうなるのは前から分かっていた」「普通に考えればそうなるに決まっているじゃないか」と感じてしまうのが後知恵バイアスです。結果が得られる前であれば様々な可能性を考えるのにもかかわらず、結果が得られてしまうとそれを当たり前だと感じてしまうのです。

 血液型性格判断では、相手がA型であることが分かってから「そういえばあいつは几帳面なところがある。A型だから当然だな。A型は几帳面だ。」などと考えてしまう傾向があるということです。ここで抱いた肯定的感情は記憶を経由することで前後関係が曖昧になり、後知恵だったのに「前からそう思っていた」といった記憶になってしまうこともあります。

 このように、「当たっている」という判断が印象に基づくものである場合、その印象が正しくない可能性はかなり残っています。実際に「O(A,B,AB)型はこんな性格」というような説明の血液型の表記だけをシャッフルして調査してみると、O型の説明だとしてAB型の説明を渡されたにもかかわらず、自分の性格に合っていると判断してしまったO型の方がたくさんいたといった例も見られます。

http://wayback.archive.org/web/20071009112142/http://www.xsunx.org/columns/7aa_love/KetsuekiGataSeikakuhandan_NazoRiyouhouhou.html

*1

 当たっているように感じているのは本当でしょうが、それは様々なバイアスが働いた結果かもしれません。

Q. 有名人を血液型で分類したものとかも当たってるよ?

 こういった考え方には様々な問題があります。具体的にいくつかあげてみましょう。

  1. 有名人の性格はあなたが知っている通りのものか(あなたの印象には、役柄、演技などの影響はないか)
  2. 当てはまらない有名人を無視していないか(ランダムに選んだ芸能人で評価しているか)
  3. 当てはまらない説明を無視していないか
  4. こじつけ的な説明は使っていないか

 これらのことより、有名人などを対象とした場合、知り合いや自分を対象とした場合よりも、前の項目で説明した「確証バイアス」が入り込む余地は、より大きくなることが予想されます。

 有名人と血液型の関係はこのようなもののほかに「ホームランバッターにはO型とB型が多く、A型とAB型は少ない」といったものや「政治家にはO型が多い(O型は政治家向きである)」といったようなものも多いようです。

 実は、もとのデータが全くのランダムであっても、様々な方法でデータをとったり、何度もデータをとったりすることによって、どこかで偏りを見つけることができるという事実が知られています。専門的には「タイプ1エラー(第一種の過誤)」と呼ばれています。

 ここでは、プログラムの疑似乱数を用いて200件程ランダムに血液型を並べ、最初の10件を取り出してみました。数回同じ処理を繰り返してみるだけで、かなり偏ったデータが現れることに気がつきます。たとえば以下のようなデータが得られました。

  1. 「O A B B B B B O B B」:圧倒的にB型が多い
  2. 「AB O AB AB O B AB B O AB」:AB型とO型が多い

 200件全部では、それぞれの血液型が出てきた回数は以下のようなデータとなりました。数が少し大きくなると、そんなに偏っていないことが分かると思います。*2

  1. O:45, A:50, B:52, AB:53
  2. O:60, A:42, B:51, AB:47

このようにランダムなデータであっても、回数を繰り返せば必ず偏ったデータを得ることができます。血液型性格判断でも、色々なデータを探せば、必ず偏った血液型のデータを見つけることができるのです。つまり「偏ったデータがある」というだけでは、血液型と性格の関係を示しているということは言えないということです。

http://natrom.sakura.ne.jp/BloodType1Error.html

 

※このエントリは次へ続きます

 

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*1:本来のURLは→です。

http://www.xsunx.org/columns/7aa_love/KetsuekiGataSeikakuhandan_NazoRiyouhouhou.html

*2:ここでは便宜的に4つの血液型の出現確率は同じにしてあります。

超心理学に関する僕の意見

 結論から言おう。僕の現状の意見としては超心理学の中で研究されている超能力(ESPやPK)は存在しないだろう」というものである。

 

 現在まで超心理学の研究結果から得られている結論は「超能力は存在する可能性がある。しかし、それは検出が非常に難しいほど効果の小さいものである*1」といったものだと理解している*2

 超心理学には懐疑論者と超心理学研究者の間でのあまり褒められないような議論の歴史がある。懐疑論者が超心理学の研究を否定してきた歴史である。懐疑論者の中には「黒歴史」扱いしたり、懐疑論者の恥ずべき失敗という評価をする者もいる。だからこそ、超心理学の研究自体の否定に対し厳しい意見が出ることもある。

 ただ、僕自身はそれほどこの歴史について詳しくない。概要をなんとなく知っている程度である*3。なので、ここではその歴史の話はしない。

 超常現象論争を眺めていた方ならどこかで見たことがあるかもしれないが懐疑論者が超心理学を擁護する場合がある。特にASIOS*4はそう見えているだろう。ここは超絶的な違和感を感じるポイントになっているようだ。懐疑論者が超常現象を肯定しているようにも見えるからだ。

 でも違う。懐疑論者が擁護することがあるのは「超能力がある」という主張ではなく、超能力を検出しようとしている実験の手法である。超心理学の研究者が行なっている実験を科学的だと呼んで差し支えないという意味で擁護しているのである*5。ここで用いられている誤りを避けるための実験手法と統計は、一般的な心理学の研究よりも厳密であるという評価もある。

 超心理学の分野が特殊なのは、超常現象(といって良いかは議論があるけれど)の肯定的な研究者が科学的な研究を行なっているという点である。多くの場合、超常現象の肯定的研究者*6は、科学的な研究など行なわずに超常現象を肯定する。超常現象に肯定的な者が研究っぽいものを行なうこともあるが、科学的と呼べる様なものではないのがほとんどである。むしろ、科学を装うために研究っぽいものを行なっているように見えるのが現状だ。

 もちろん、超心理学の研究が科学だからといって超能力が存在することを意味するわけではない。先に示したように科学的な研究結果が示すのは「目に見えるような派手な効果は無い」という結論である*7。最も重要なのはこの結果が外部の研究者からの反証としてではなく、内部(肯定的な者)の研究にて得られたということである。肯定的研究者の期待は裏切られたであろうが、論文は公開されている。これは科学の手続きだ。

 

 まとめよう。超心理学の擁護をしているように見える懐疑論者というのは、超心理学の研究が科学的手順に従って行なわれており、研究者の科学的ではない手順や不正によって効果が出ているように見せかけられたものではないという意味で超心理学を擁護しているのである。肯定的な研究者の超能力に肯定的な結論の擁護ではない。

 


以下蛇足である。

 

 それでは、統計的な確率の揺らぎとしてしか検出できないという超微妙な効果は何によって生じるのか?超能力があるということではないのか?という疑問は当然出るだろう。科学的にいえば「わからない」のだ。とても座りが悪いがしょうがない。

 超心理学に肯定的な研究者は超能力の存在する証拠だというだろう。超心理学の研究に肯定的な懐疑論者の多くはおそらく見落とした外乱要因を想定しているのではないか*8。結論が一致するだけの結果は出ていないのである。研究結果は科学的かもしれないが、解釈は肯定的な者と懐疑的な者で違うというのが現状だろう。

 僕は単なる素人であり妥当な結論に近づける気はしていないが、最終的には統計的手法の限界ではないかと邪推している。

 さらにいえば、超心理学の研究・論文に関しては科学的だと評価していいけれど、肯定的研究者の発言については正直どうかと思うことも多い。インタビューなどでは、他の超常現象研究者と同じような単なるビリーバーとしか思えない発言もあるからだ。

*1:統計的分析を経ないと検出できないぐらい

*2:なので、客観的な正誤の意見を求められたら僕はそんな感じの答えをする

*3:その範囲では不用意な否定的懐疑論者の放言なんて超心理学に限らず山ほどあると思っている

*4:追記:ASIOSに属する懐疑論者という意味

*5:そして「あんなものは疑似科学である」という懐疑論者を批判することもある

*6:その多くは研究者と呼ぶのもためらわれるが…

*7:超微妙な効果はあるかもしれないという結論ではあるものの

*8:「お蔵入り効果(出版バイアス)」とか、普通にこういうケースで検討されるべき項目は検討済みであるので、超心理学以外の分野であれば定番の批判手法も超心理学にそのまま適用することはできないことにも注意するべきである

『未確認動物UMAを科学する』は、確かにUMAを科学している

 なかなかボリュームたっぷりのUMA(Unidentified Mysterious Animal)本が翻訳された。『未確認動物UMAを科学する―モンスターはなぜ目撃され続けるのか』である。

  日本ではUMAが一般的な呼称だが、海外ではCryptozoology(未確認動物学*1)と呼ぶのが一般的である。未確認動物学自体はきちんとした学問というより、未確認動物ビリーバーのものといった様子である。

  この本でメインに扱われているUMAは、ビッグフット、イエティ、ネッシー、シーサーペント、モケーレ・ムベンベである。

  この本は1章をまるまる「科学」部分に当てている。科学の考え方から始まり心理学、生物学と生態学、地質学、古生物学を根拠にすると未確認動物学が科学であるとは認められないことが示されている。ただ、1章まるまるといっても、40ページに満たない分量だ。本文は450ページを超え、加えて索引と註だけで86ページあることを考えると少ない。だが密度は文句なしに高いと言っていい。

  こと「科学」という視点からすると、実はこれだけで十分である。UMAの存在を科学的に検討する価値があるものと認めるためには、様々な分野の知識を覆すだけの強力な証拠が提出される必要がある。UMAそのものといった物証であればクリアできるであろうが、現時点で知られていることや、追加の断片的な状況証拠ではほとんど無理な状態だということがわかるだろう。

  UMAのことがそんなに好きではないのであれば、ここで読み終わっても構わない。それでも得るものはある。

  さて、UMA好きならどうだろう。信じる人も信じない人も「じゃあ、あれはどうなの?」と思うような証拠はあるだろう。ビッグフットの「パターソン・ギムリン・フィルム*2」はどうだ?ネッシーの「外科医の写真」は?

  懐疑的調査は残りの部分だ。そしてこの本が資料として生きてくるのもこの部分だろう。UMAのことに触れたい懐疑論者は必ず基礎資料として読むべき本だ。私は懐疑論者がUMAを語るのなら「まずここから」という基準の本が現れたと考えている。

  未確認動物が存在するという結論は信頼できないという点以外のところで、著者の二人の意見は一致していないらしい。本書一冊の中でも意見はまとまっていない。

 しかし、別に著者の意見・結論は特に気にしなくても良い。懐疑論者は提示された根拠に基づいて自分なりの結論を導けば良いのである。

 

 『未確認動物UMAを科学する―モンスターはなぜ目撃され続けるのか』

 

 

*1:語源は「隠れた生物についての科学」

*2:日本では単にパターソンフィルムと呼ばれることも多い

音読カードの押印は手書きで

妖怪ウォッチの人気のおかげで息子の宿題が捗る!という話が話題になってました。妖怪ウォッチがすごいのは確かにですが、音読カードに手書きというパワーを感じるところです。

 

妖怪ウォッチがすごい - トウフ系

 こういうのって、絵を描く力がある人はちゃちゃっとできちゃうんでしょうが、普通の人にはなかなか厳しいところがあります。…ですが、実は僕も去年まで手書きで音読カードに描きこみしていました。リンク先みたいにホメられたいので、絵とは縁のない生活をしていて、だいぶお粗末なものですが公開してみようかと思います。

教科書シリーズ

 音読なので、教科書やらプリントやらに出てくるキャラクターを描いてみました。キリン、こっちみんな。

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コラショシリーズ

 個人情報流出で話題沸騰のベネッセの教材に出てくるキャラクターたち。みんな口開けすぎ。

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ライダーシリーズ

男の子といえば仮面ライダーでしょう。アマゾンの目が大門のサングラスみたい。

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恐竜&骨シリーズ

男の子といえば、恐竜と骨も定番ですよね。スーパーカセキホリダーなんてゲームにもはまってました。なんか、恐竜関係ないの混じった。

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なめこシリーズ

もうなめこは話題にならなくなりましたね。当時はだいぶ盛り上がってました。

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ポケモンシリーズ

妖怪ウォッチの前までは、ポケモンが定番でしたよね。ホエルコ周りはだいぶ手を抜いてる感が出ています。

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生き物シリーズ

息子の夢は水族館か動物園の飼育員さんらしいです。ミナミマグロとクロマグロって、描き分け合ってるんでしょうか?

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UFOシリーズ

お父さんの趣味はUFOらしいよ。アダムスキー型UFOにグレイはおかしいでしょ。

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そんなわけで

他にも、ゆるきゃらシリーズやら、あんぱん、猫型ロボット、乗り物、NHKなどなどだいぶ色々描きました。クオリティの低い絵でも、継続してれば力になるようで、今では少しは見れる絵も描けるようになりました。まだまだ下手ですけど(画像はガブニャン)、子供からは盛んに絵をせがまれるようになりました。

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みなさんも音読カードの手書きに挑戦してみてはいかがでしょうか。子供からはだいぶほめられますよ。