血液型性格判断FAQ -2-

血液型性格判断FAQの2回目です。

1回目はこちらです。「血液型性格判断FAQ -1- - 僕と懐疑の関係

Q. 統計的に有意な差があるのならば、性格判断は正しいのでは?

 前の項目で示したように、ランダムなデータであっても「差異」は生じてしまうことが分かります。むしろ全く差が出ない方が不思議です。ただし、印象論ではなく「統計的に有意な差」であれば、単なる偶然で生じる可能性は少なくなります(正確には、標本数 標本の大きさと有意水準の設定の問題などがあり、単に「有意差」という言葉だけでは何も言えません)。しかし、それでも試行回数を多くすれば、いつかは必ず「統計的に有意な差」も生じてしまいます。

 問題はその「統計的に有意な差」が、一貫性をもって繰り返し観察されるかということです。例えば「積極性」という性格傾向に血液型間の統計的に有意な差が検出された場合でも、あるときはA型が高く、ある時はB型が高い…といった状況では、特定の血液型と特定の性格が関連付かないため、血液型性格判断の根拠としては使えません。

Q. 統計的な有意差があるなら、性格から血液型を当てたり、血液型から性格を予想したりできますよね?

 原理的には、正答率を上げることはできます。しかし「エフェクトサイズ(効果量)」の問題があり、どれぐらい正答率を上げることができるかはエフェクトサイズによります。
 エフェクトサイズを理解するために参考になるリンクは以下です。 http://transact.seesaa.net/article/105216733.html

  話を簡単にするため、日本人全体を母集団として「外向性(外向的である/ない)」と血液型の関係を調べたという仮定での話をします。

 この前提で「外向的である」と判断されたグループも「外向的でない」と判断されたグループも日本人の血液型分布と同じ分布(A型 : 約40%, O型 : 約30%, B型 : 約20%, AB型 : 約10%)になる場合、統計的な差が全くないと言えます。ここでは日本人の血液型分布を4:3:2:1の比率だったと仮定し具体的に言うと、調査対象が20万人であれば、「外向的である」グループも、「外向的でない」グループも、A型4万人, O型3万人, B型2万人, AB型1万人の場合、統計的な差が全くないということです。

 実験した結果、以下のような結論が得られたと仮定します。この結論から明らかにB型は外向的であり、A型とO型は外向的でないことがわかりました。統計的にも信頼度99%以上で有意な差です。

    外向的である:A型3.9万人, O型2.9万人, B型2.2万人, AB型1万人
    外向的でない:A型4.1万人, O型3.1万人, B型1.8万人, AB型1万人

 さて、このような仮定をおいた場合に、統計的に有意な差があるから、血液型から性格を当てられる、または、性格から血液型を当てられるということになるでしょうか。

 血液型がA型の人の性格は「外向的でない」といったとき、4.1万人には当てはまりますが、3.9万人には当てはまりません。つまり、どっちを選択しても当たる確率は50%前後でしかないのです。

 逆に「外交的な性格の人」は何型でしょうか?確率的にはA型と答えておくのがもっとも当たる確率が高いのです。もっと言えば「外交的な性格でない人」は何型かと推測する場合もA型と答えておくのがもっとも当たる確率が高いということになるのです。

 つまり、統計的に有意な差異があっても、それだけで「個人の性格が当てられる」「血液型が当てられる」とは言えないということです。

Q. 多くの研究者が同じ血液型には同じ性格を当てはめているよ

 異なる研究者が同じ性格を当てはめているなら、その分類にも一定の根拠が有りそうに思えます。

 しかし、実際に検討してみると同じところもあるようですが、代表的な少数以外は一致していないようです。たとえ一致していたとしても先行する主張を引き継いだだけの可能性もあり、血液型性格判断が正しいという根拠としては使えないといえます。
「疑似性格理論としての血液型性格関連説の多様性」

http://ci.nii.ac.jp/naid/110006782108


Q. 血液型が性格を形作るメカニズムも色々と説明されているよ。血液型によって性格が変わるのは進化的説明もできます!

 説明ができることと、その説明が当たっているかは独立して考えなければいけません。説明できたとしても、その説明が正しくなければ意味はありません。全くメカニズムを構築できない理論よりは、メカニズムを構築できる理論の方が見込みはありますが、その理論が正しいかどうかとはやはり別問題です。

 血液型によって罹りやすい病気があるのならば、性格的なものにも影響を及ぼしてもおかしくないといった主張もありますが同じことです。まずは性格に差が出るということが確認されるのが先です。

 そもそも血液型によって性格が違うという前提部分に議論がある状態で、メカニズムをうんぬんすることは建設的ではありません。

Q. 話のきっかけに使ってるだけなのに、目くじらをたてるような問題ですか?

 確かに単なる無根拠な占いのような感じで使われている場面の方が多く見受けられます。今回のFAQでは、占いに類するものは扱わないという前提ですので、問題視しません。ただ、表面上はそうであっても、一旦批判されると熱心な信奉者の面が出てくる場合もあるので(科学的に証明されているという主張を始める人もいる)、本当に単なる占いとしか思っていないのか、真意は批判されるまでわからないかもしれません。

 あなたが不利益を蒙る状況を想定してみてください。例えば、社会的にも問題のある行動で、あなたが生理的に嫌悪するような行動(仮に「行動A」とします)があったとします。あなたは、「行動A」に嫌悪感を抱いているので、絶対にそのような行動はしません。そういったとき、血液型性格判断で「あなたの血液型の人は行動Aをとりやすい。」などと書かれていたらどんな気分になるでしょうか?また、知人から血液型だけを根拠に「行動Aをとりやすい人なんだ」と思われるとしたらどうでしょうか?

 しかもそれは単なる迷信ではなく、いくばくかの根拠があるのだと主張されたとしたら。

 

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血液型性格判断FAQ -1-

血液型性格判断とは何?

 血液型性格判断とは、ABO型の血液型から人の性格を分類でき、その分類が妥当であるという主張のことです。通常は心理学的な分類というよりも「A型は几帳面、O型は大雑把」などのような、単純なステレオタイプとしての分類のことを指しています。多くの場合は、どの職業に向いているなどという高度に複雑な要因に影響するまで大きな相関があると考えます。また、性格からABO血液型を類推できるという信念にもつながっています。

 実は、血液型性格判断を肯定する人、否定する人の間でも様々な解釈があり、厳密な議論において混乱しない程度の共通認識は存在しないというのが本当のところです。一口に血液型性格判断と言っても、占いと殆ど見分けがつかないようなものから、ごく小さい統計的なデータの偏りの話まで、話し手によって指しているものが違います。

 「血液型性格相関説」と「血液型性格判断」を全くの別物として扱う人もいますし、そうでない人もいます。

 多様性について詳しく知りたい方は以下の論文を参照してください
「疑似性格理論としての血液型性格関連説の多様性」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/personality/15/1/15_1_33/_pdf

扱うものと扱わないもの

 このFAQでは扱う対象と扱わない対象があります。扱うのは、客観的根拠があるように主張されている血液型性格判断で、扱わないのは占いと同じような使われ方をしている血液型性格判断です。

扱うもの
  • 血液型からある特定の人の性格が分かるという説
  • 性格から血液型が分かるという説
  • それらに客観的根拠が存在するという主張
扱わないもの
  • 血液型占い
 
Q. 自分や知り合いを見ると関係あるとしか思えないよ?(当たっているように見える理由)

 これから説明しますが、血液型性格判断になんらかの肯定的な感情を持っている場合「関係あるようにしか思えない」と考えてしまうのは自然なことです。しかし、それが客観的事実に基づいているかどうか?という話になると、あなたが抱いた印象とはかなり違う場合があります。

 人間は間違ったことを信じてしまうことがあります。そのメカニズムの一例として「確証バイアス」というものがあります。血液型性格判断は当たるという先入観が存在すると、その先入観に当てはまるものはよく目につき、先入観に当てはまらないものは無視されてしまうということが起きます。このことによって、総合的に血液型性格判断が当たっているという印象が強められます。

 また、「バーナム効果(フォアラー効果)」というものも知られています。たとえば、あなたの血液型がO型だったとします。このとき「O型はこのような性格傾向があります」というように文章を提示されると、それが自分によく当てはまるような気がしてしまう方向に誘導されてしまいます。

 さらに「後知恵バイアス」というものも影響している場合もあるでしょう。ある結果が得られたとき、その結果がわかってから「そうなるのは前から分かっていた」「普通に考えればそうなるに決まっているじゃないか」と感じてしまうのが後知恵バイアスです。結果が得られる前であれば様々な可能性を考えるのにもかかわらず、結果が得られてしまうとそれを当たり前だと感じてしまうのです。

 血液型性格判断では、相手がA型であることが分かってから「そういえばあいつは几帳面なところがある。A型だから当然だな。A型は几帳面だ。」などと考えてしまう傾向があるということです。ここで抱いた肯定的感情は記憶を経由することで前後関係が曖昧になり、後知恵だったのに「前からそう思っていた」といった記憶になってしまうこともあります。

 このように、「当たっている」という判断が印象に基づくものである場合、その印象が正しくない可能性はかなり残っています。実際に「O(A,B,AB)型はこんな性格」というような説明の血液型の表記だけをシャッフルして調査してみると、O型の説明だとしてAB型の説明を渡されたにもかかわらず、自分の性格に合っていると判断してしまったO型の方がたくさんいたといった例も見られます。

http://wayback.archive.org/web/20071009112142/http://www.xsunx.org/columns/7aa_love/KetsuekiGataSeikakuhandan_NazoRiyouhouhou.html

*1

 当たっているように感じているのは本当でしょうが、それは様々なバイアスが働いた結果かもしれません。

Q. 有名人を血液型で分類したものとかも当たってるよ?

 こういった考え方には様々な問題があります。具体的にいくつかあげてみましょう。

  1. 有名人の性格はあなたが知っている通りのものか(あなたの印象には、役柄、演技などの影響はないか)
  2. 当てはまらない有名人を無視していないか(ランダムに選んだ芸能人で評価しているか)
  3. 当てはまらない説明を無視していないか
  4. こじつけ的な説明は使っていないか

 これらのことより、有名人などを対象とした場合、知り合いや自分を対象とした場合よりも、前の項目で説明した「確証バイアス」が入り込む余地は、より大きくなることが予想されます。

 有名人と血液型の関係はこのようなもののほかに「ホームランバッターにはO型とB型が多く、A型とAB型は少ない」といったものや「政治家にはO型が多い(O型は政治家向きである)」といったようなものも多いようです。

 実は、もとのデータが全くのランダムであっても、様々な方法でデータをとったり、何度もデータをとったりすることによって、どこかで偏りを見つけることができるという事実が知られています。専門的には「タイプ1エラー(第一種の過誤)」と呼ばれています。

 ここでは、プログラムの疑似乱数を用いて200件程ランダムに血液型を並べ、最初の10件を取り出してみました。数回同じ処理を繰り返してみるだけで、かなり偏ったデータが現れることに気がつきます。たとえば以下のようなデータが得られました。

  1. 「O A B B B B B O B B」:圧倒的にB型が多い
  2. 「AB O AB AB O B AB B O AB」:AB型とO型が多い

 200件全部では、それぞれの血液型が出てきた回数は以下のようなデータとなりました。数が少し大きくなると、そんなに偏っていないことが分かると思います。*2

  1. O:45, A:50, B:52, AB:53
  2. O:60, A:42, B:51, AB:47

このようにランダムなデータであっても、回数を繰り返せば必ず偏ったデータを得ることができます。血液型性格判断でも、色々なデータを探せば、必ず偏った血液型のデータを見つけることができるのです。つまり「偏ったデータがある」というだけでは、血液型と性格の関係を示しているということは言えないということです。

http://natrom.sakura.ne.jp/BloodType1Error.html

 

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*1:本来のURLは→です。

http://www.xsunx.org/columns/7aa_love/KetsuekiGataSeikakuhandan_NazoRiyouhouhou.html

*2:ここでは便宜的に4つの血液型の出現確率は同じにしてあります。

超心理学に関する僕の意見

 結論から言おう。僕の現状の意見としては超心理学の中で研究されている超能力(ESPやPK)は存在しないだろう」というものである。

 

 現在まで超心理学の研究結果から得られている結論は「超能力は存在する可能性がある。しかし、それは検出が非常に難しいほど効果の小さいものである*1」といったものだと理解している*2

 超心理学には懐疑論者と超心理学研究者の間でのあまり褒められないような議論の歴史がある。懐疑論者が超心理学の研究を否定してきた歴史である。懐疑論者の中には「黒歴史」扱いしたり、懐疑論者の恥ずべき失敗という評価をする者もいる。だからこそ、超心理学の研究自体の否定に対し厳しい意見が出ることもある。

 ただ、僕自身はそれほどこの歴史について詳しくない。概要をなんとなく知っている程度である*3。なので、ここではその歴史の話はしない。

 超常現象論争を眺めていた方ならどこかで見たことがあるかもしれないが懐疑論者が超心理学を擁護する場合がある。特にASIOS*4はそう見えているだろう。ここは超絶的な違和感を感じるポイントになっているようだ。懐疑論者が超常現象を肯定しているようにも見えるからだ。

 でも違う。懐疑論者が擁護することがあるのは「超能力がある」という主張ではなく、超能力を検出しようとしている実験の手法である。超心理学の研究者が行なっている実験を科学的だと呼んで差し支えないという意味で擁護しているのである*5。ここで用いられている誤りを避けるための実験手法と統計は、一般的な心理学の研究よりも厳密であるという評価もある。

 超心理学の分野が特殊なのは、超常現象(といって良いかは議論があるけれど)の肯定的な研究者が科学的な研究を行なっているという点である。多くの場合、超常現象の肯定的研究者*6は、科学的な研究など行なわずに超常現象を肯定する。超常現象に肯定的な者が研究っぽいものを行なうこともあるが、科学的と呼べる様なものではないのがほとんどである。むしろ、科学を装うために研究っぽいものを行なっているように見えるのが現状だ。

 もちろん、超心理学の研究が科学だからといって超能力が存在することを意味するわけではない。先に示したように科学的な研究結果が示すのは「目に見えるような派手な効果は無い」という結論である*7。最も重要なのはこの結果が外部の研究者からの反証としてではなく、内部(肯定的な者)の研究にて得られたということである。肯定的研究者の期待は裏切られたであろうが、論文は公開されている。これは科学の手続きだ。

 

 まとめよう。超心理学の擁護をしているように見える懐疑論者というのは、超心理学の研究が科学的手順に従って行なわれており、研究者の科学的ではない手順や不正によって効果が出ているように見せかけられたものではないという意味で超心理学を擁護しているのである。肯定的な研究者の超能力に肯定的な結論の擁護ではない。

 


以下蛇足である。

 

 それでは、統計的な確率の揺らぎとしてしか検出できないという超微妙な効果は何によって生じるのか?超能力があるということではないのか?という疑問は当然出るだろう。科学的にいえば「わからない」のだ。とても座りが悪いがしょうがない。

 超心理学に肯定的な研究者は超能力の存在する証拠だというだろう。超心理学の研究に肯定的な懐疑論者の多くはおそらく見落とした外乱要因を想定しているのではないか*8。結論が一致するだけの結果は出ていないのである。研究結果は科学的かもしれないが、解釈は肯定的な者と懐疑的な者で違うというのが現状だろう。

 僕は単なる素人であり妥当な結論に近づける気はしていないが、最終的には統計的手法の限界ではないかと邪推している。

 さらにいえば、超心理学の研究・論文に関しては科学的だと評価していいけれど、肯定的研究者の発言については正直どうかと思うことも多い。インタビューなどでは、他の超常現象研究者と同じような単なるビリーバーとしか思えない発言もあるからだ。

*1:統計的分析を経ないと検出できないぐらい

*2:なので、客観的な正誤の意見を求められたら僕はそんな感じの答えをする

*3:その範囲では不用意な否定的懐疑論者の放言なんて超心理学に限らず山ほどあると思っている

*4:追記:ASIOSに属する懐疑論者という意味

*5:そして「あんなものは疑似科学である」という懐疑論者を批判することもある

*6:その多くは研究者と呼ぶのもためらわれるが…

*7:超微妙な効果はあるかもしれないという結論ではあるものの

*8:「お蔵入り効果(出版バイアス)」とか、普通にこういうケースで検討されるべき項目は検討済みであるので、超心理学以外の分野であれば定番の批判手法も超心理学にそのまま適用することはできないことにも注意するべきである

『未確認動物UMAを科学する』は、確かにUMAを科学している

 なかなかボリュームたっぷりのUMA(Unidentified Mysterious Animal)本が翻訳された。『未確認動物UMAを科学する―モンスターはなぜ目撃され続けるのか』である。

  日本ではUMAが一般的な呼称だが、海外ではCryptozoology(未確認動物学*1)と呼ぶのが一般的である。未確認動物学自体はきちんとした学問というより、未確認動物ビリーバーのものといった様子である。

  この本でメインに扱われているUMAは、ビッグフット、イエティ、ネッシー、シーサーペント、モケーレ・ムベンベである。

  この本は1章をまるまる「科学」部分に当てている。科学の考え方から始まり心理学、生物学と生態学、地質学、古生物学を根拠にすると未確認動物学が科学であるとは認められないことが示されている。ただ、1章まるまるといっても、40ページに満たない分量だ。本文は450ページを超え、加えて索引と註だけで86ページあることを考えると少ない。だが密度は文句なしに高いと言っていい。

  こと「科学」という視点からすると、実はこれだけで十分である。UMAの存在を科学的に検討する価値があるものと認めるためには、様々な分野の知識を覆すだけの強力な証拠が提出される必要がある。UMAそのものといった物証であればクリアできるであろうが、現時点で知られていることや、追加の断片的な状況証拠ではほとんど無理な状態だということがわかるだろう。

  UMAのことがそんなに好きではないのであれば、ここで読み終わっても構わない。それでも得るものはある。

  さて、UMA好きならどうだろう。信じる人も信じない人も「じゃあ、あれはどうなの?」と思うような証拠はあるだろう。ビッグフットの「パターソン・ギムリン・フィルム*2」はどうだ?ネッシーの「外科医の写真」は?

  懐疑的調査は残りの部分だ。そしてこの本が資料として生きてくるのもこの部分だろう。UMAのことに触れたい懐疑論者は必ず基礎資料として読むべき本だ。私は懐疑論者がUMAを語るのなら「まずここから」という基準の本が現れたと考えている。

  未確認動物が存在するという結論は信頼できないという点以外のところで、著者の二人の意見は一致していないらしい。本書一冊の中でも意見はまとまっていない。

 しかし、別に著者の意見・結論は特に気にしなくても良い。懐疑論者は提示された根拠に基づいて自分なりの結論を導けば良いのである。

 

 『未確認動物UMAを科学する―モンスターはなぜ目撃され続けるのか』

 

 

*1:語源は「隠れた生物についての科学」

*2:日本では単にパターソンフィルムと呼ばれることも多い

音読カードの押印は手書きで

妖怪ウォッチの人気のおかげで息子の宿題が捗る!という話が話題になってました。妖怪ウォッチがすごいのは確かにですが、音読カードに手書きというパワーを感じるところです。

 

妖怪ウォッチがすごい - トウフ系

 こういうのって、絵を描く力がある人はちゃちゃっとできちゃうんでしょうが、普通の人にはなかなか厳しいところがあります。…ですが、実は僕も去年まで手書きで音読カードに描きこみしていました。リンク先みたいにホメられたいので、絵とは縁のない生活をしていて、だいぶお粗末なものですが公開してみようかと思います。

教科書シリーズ

 音読なので、教科書やらプリントやらに出てくるキャラクターを描いてみました。キリン、こっちみんな。

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コラショシリーズ

 個人情報流出で話題沸騰のベネッセの教材に出てくるキャラクターたち。みんな口開けすぎ。

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ライダーシリーズ

男の子といえば仮面ライダーでしょう。アマゾンの目が大門のサングラスみたい。

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恐竜&骨シリーズ

男の子といえば、恐竜と骨も定番ですよね。スーパーカセキホリダーなんてゲームにもはまってました。なんか、恐竜関係ないの混じった。

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なめこシリーズ

もうなめこは話題にならなくなりましたね。当時はだいぶ盛り上がってました。

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ポケモンシリーズ

妖怪ウォッチの前までは、ポケモンが定番でしたよね。ホエルコ周りはだいぶ手を抜いてる感が出ています。

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生き物シリーズ

息子の夢は水族館か動物園の飼育員さんらしいです。ミナミマグロとクロマグロって、描き分け合ってるんでしょうか?

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UFOシリーズ

お父さんの趣味はUFOらしいよ。アダムスキー型UFOにグレイはおかしいでしょ。

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そんなわけで

他にも、ゆるきゃらシリーズやら、あんぱん、猫型ロボット、乗り物、NHKなどなどだいぶ色々描きました。クオリティの低い絵でも、継続してれば力になるようで、今では少しは見れる絵も描けるようになりました。まだまだ下手ですけど(画像はガブニャン)、子供からは盛んに絵をせがまれるようになりました。

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みなさんも音読カードの手書きに挑戦してみてはいかがでしょうか。子供からはだいぶほめられますよ。

日本のオカルト事情「ホメオパシー」(2010年9月版)

(これは2010年 イタリアの懐疑論者団体CICAPの機関誌に載せるために書いた文章です。イタリア語に翻訳されて載る予定でしたが、流れてしまいました。若干古くなってしまいましたが、お蔵入りさせるのももったいないので公開します。)

1. はじめに

 はじめに自己紹介をします。私は日本の懐疑論者です。ASIOSという団体の運営委員をしています。ASIOSの活動は、超常現象の調査や調査結果の報告がメインです。基本的には社会問題を解決するために活動しているわけではありません。しかし、私たちの懐疑的調査が、社会問題進行の抵抗になるならば、うれしいことだと思います。

2. 日本におけるホメオパシーの状況

○概観

 日本では、健康対策(Self-medication)が流行になっています*1。そして、自然信仰も広がっています。自然なもの、天然のものを盲目的に「良いもの」だとする考え方です*2。そういった流れから、人工的という印象の強い通常医療や薬は、避けるべきものと考える人も多いようです。多くの代替医療は自然であることを強く主張しています。そこに通常医療への不信感が重なって、代替医療が広がる原動力となっています。ホメオパシーはここ10年ぐらいの間に急速に広まりました。

○ベースの構築

 日本でホメオパシーが普及する基盤は、1990年代後半に作られました。

 この時期「由井寅子」を中心とする「日本ホメオパシー医学協会」系*3、「帯津良一」を中心とする「日本ホメオパシー医学会」*4、「永松昌泰」を中心とする「日本ホメオパシー振興会」系*5が、多くの団体を作りました。今、ホメオパシーについて調べると、様々な機関や組織があるという状況になっています。

○メディアや著名人の後押し

 日本では、代替医療が報道メディアで扱われることは少ない状況です*6。しかし、歌手や女優、タレントにもホメオパシーにはまっている人がおり、非公式の広告塔になっています*7。2000年代前半には、複数の女性週刊誌が次々とホメオパシーを取り上げました*8。「代替医療」というよりも、もっと気楽な健康法として、認知度を上げていった状態です。

 そのような状況で、日本の前首相である鳩山由紀夫氏は、2010年1月29日 第174回国会における施政方針演説で「統合医療」の積極的な推進を表明しました*9。こういった方針を受けて、厚生労働省統合医療センターの設立を検討しています。統合医療センターでの研究対象としてあげられた代替医療の中には、ホメオパシーも含まれます*10

○ターゲット

 ホメオパシーは、障害をもつ子がいるところや、出産から育児中の親など、弱いところから入り込んでいます。沖縄では、公立中学校の養護教諭が、発達障害の生徒にレメディ―を処方していました*11

 通常の医薬品に制限のかかる、妊娠・出産から育児中の母親にも、積極的に売り込みを行っています。しかも、個々の妊婦が信じているだけではなく、専門家である助産師が勧めるということも起こっています。これは特定の助産師の話にとどまる話ではありません。助産師会のイベントとして、ホメオパシーの講演や勉強会が行われているのです*12。本来なら正しい情報を伝え、正しい行動するべき専門家が、率先してホメオパシーに関わっているということです。

 一例をあげると、日本助産師会理事の神谷整子氏がいます。彼女はカリスマ助産師としてテレビで取り上げられたこともあり*13、助産師会の中でも強い力を持っています。神谷氏は日本ホメオパシー助産師協会会長の肩書きももっています。

○ホメオパシーの被害例

 そんな中、とうとう悲惨な問題が起きてしまいました。新生児に重大な問題をもたらす症状のひとつとして「乳児ビタミンK欠乏性出血症」というものがあります。これは、ビタミンKが不足することで、出血が止まらないという症状が起きるものです。日本では、新生児にK2シロップを与えることで、ビタミンK欠乏症の発生を抑えています。しかし、ホメオパシーを推奨する山口県の助産院*14では、K2シロップを与える代わりに、ホメオパシーのレメディを与えていました。その助産院でホメオパシーのレメディを与えられた新生児が「乳児ビタミンK欠乏性出血症」で死亡するということが起こってしまったのです。

 もちろん、この被害例は氷山の一角に過ぎません*15。ホメオパシーを信じる親の善意の下で、予防接種をしてもらえない子供や医療ネグレクトを受けている子供もいます*16

 ホメオパシーのレメディには直接の害はないでしょう。しかし、ホメオパシーを信じることで重大な被害が生じるのも事実です。

3. ホメオパシー批判状況

○どのような批判が行われているか

 主にインターネット上ですが、日本ではホメオパシーは徹底的に批判されています。例えば、希釈の理論は物理的に無理のある理論であること、類似の法則が連想ゲームでしかないといった批判があります。また、ホメオパシーの効果はプラセボ効果でしかないと示されたことも、丁寧に説明されています*17

 しかし、ホメオパシー批判の情報は主にインターネット上に留まっていたため、ホメオパシーがターゲットとする主婦や子育て世代~高齢者には、批判が届いていませんでした。

○大きく動いている最中です

 しかし、これもちょっと前までの話です。今年7月以降、ホメオパシーを取り巻く状況は大きく変わっています。これは歴史的な変化と呼んでいいものです。

 きっかけは、ビタミンK欠乏で新生児が死亡した件です。この事件は、新生児の親が助産師を損害賠償で訴えたことにより、全国紙でも取り上げられるニュースになりました*18。その後、朝日新聞*19は継続的にホメオパシーの問題を取り上げ続けており、積極的な批判を行っています*20

 8/24には、日本学術会議の金澤一郎会長がホメオパシーに対する非常に手厳しい批判を行いました*21。このことは、8/25に日本4大新聞を含む各紙がニュースにしました。朝日新聞は第一面で取り上げました。すぐさま、日本医師会、日本医学会をはじめとした各種団体が金澤会長に賛同する声明を発表しました*22。ホメオパシー関係団体は、多数の批判を無視することもできず、苦しい言い訳に奔走している状態です*23

 ただし、このような状況の中で、厚生労働大臣 長妻昭が「本当に効果があるのかないのか、厚労省で研究していく」と言っている問題があります*24厚生労働省の大臣が、明確に効果が否定されているものに税金をつぎ込むと宣言しているのは、非常に悩ましいところです。

○ホメオパシー批判に足りないもの

 日本にホメオパシーを広め、現在も最大の影響力を持つと思われる由井氏は、以下のような考え方をベースに持っています。

  • 前世以前の罪(カルマのようなもの)が現世の病気に繋がっている
  • 病気の症状を出し切ること(毒出し)で罪は解消される
  • 子供は親の毒も受け継ぐ(DNAに刻み込まれている)
  • 毒がたまると精神もゆがむ

 ホメオパシーの「マヤズム」の考え方を独自解釈・拡張したものです。こういった考え方によって、日本で広がっているホメオパシーの中でも「日本ホメオパシー医学協会」系のホメオパシーは、カルト宗教的な要素が濃い状態となっています。ホメオパシーは代替医療としてだけでなく、ニューエイジ思想やニューサイエンス思想に魅力を感じる人たちの受け皿にもなっています。この状況においては、医学的な無意味さや科学的な無意味さを指摘するだけでは不十分でしょう。ニューエイジ思想の面に向けた批判が出ることによって、批判状況はよりよいものになると考えます。

 しかし、これまでホメオパシーにコミットしてきた人たちが、追い詰められ、トゥルー・ビリーバー・シンドローム(true-believer syndrome)に陥るのではないかということも考えなければいけません。強く批判するだけでなく、カルト宗教を脱退した信者のケアをするように、ホメオパシーから離れる人たちをサポートする受け皿も必要です。

4. おわりに

 日本ではホメオパシーが一部のカルト的信者を残すだけとなるかもしれません。しかし、代替医療は他にもたくさんあります。ホメオパシーの件で代替医療の問題がきれいに無くなることはないでしょう。私たちはシーシュポスの岩運びのように、地道に正しいことを伝えていくしかありません。私たちは自分のできることをできる範囲でやっていこうと考えています。

 ここで紹介したことも含め、詳細は日本のSkeptic's Wiki*25にまとまっています。より詳しい情報が必要な方は参照してください。

 

*1:一例として健康食品の市場規模は1990年頃の二倍程度まで成長している。ピークは規制や厚生労働省の指導が厳しくなる前の2005年となっている。

*2:食品等に留まらず、家、布団、衣料品などまで、「健康」「天然」「自然」「オーガニック」といった単語で宣伝を行っているほどである。

*3:日本ホメオパシー医学協会(1998年~)」系の団体としては、「ホメオパシー・ジャパン株式会社(1997年~)」「ホメオパシー研究所(1999 年~)」「ホメオパシー出版(1997年~)」、ホメオパスの養成機関として「ロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシー(1997年~)」等がある。

*4:日本ホメオパシー医学会の設立は2000年。

*5:「日本ホメオパシー振興会(2000年~)」系として、永松氏が学長を務める「ハーネマンアカデミー(1997年~)」がある。

*6:例外として2009年1月22日、テレビ朝日系「報道STATION」の「見放された患者と共に闘う"がん難民コーディネーター"」でホメオパシーが肯定的に取り上げられた。

*7:由井寅子も有名人が使っていたということを盛んに宣伝している。 http://www.homoeopathy.co.jp/introduction/tyomeijin_index.html

*8:ホメオパシーを取り上げたメディアの例。 http://www.jphma.org/About_homoe/media.html

*9:http://www.kantei.go.jp/jp/hatoyama/statement/201001/29siseihousin.html

*10:厚生労働省統合医療プロジェクトチームの会合報告は次のリンクから確認できる。 http://www.mhlw.go.jp/shingi/other.html

*11:宮城勝子教諭は「日本ホメオパシー医学協会」の認定ホメオパス。2007年12月21日の沖縄養護教諭研究会では、大会長として由井寅子の講演を企画した。

http://jphma.org/fukyu/gakkaisanka_yosu.html

http://www.jphma.org/topics/topics_40_fukyu_miyagi.html

*12:日本助産師会の複数の地方支部がホメオパシーを好意的に取り上げる講演会を企画していた。次のページにリンクがまとまっている。http://putorius.mydns.jp/wordpress/?p=716

*13:NHK、プロフェッショナル仕事の流儀、第60回 2007年8月28日放送 http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/070828/index.html

*14:ビタミンKを与えないことにした助産師は「日本ホメオパシー医学協会」の認定ホメオパス。前出の神谷氏も同協会に属しており、K2シロップの代わりにレメディ―を用いていた。

*15:悪性リンパ腫の女性がホメオパシーに頼り切ったため、通常医療をうけることなく死亡した例もある。http://www012.upp.so-net.ne.jp/mackboxy/Health/

*16:医療ネグレクトが疑われる例が「ロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシー」のWebページで公開されていたため、私も児童相談所への連絡を行った。http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20100715/p1

*17:よく取り上げられる論文は、The Lancet 2005; 366:726-732 「Are the clinical effects of homoeopathy placebo effects? Comparative study of placebo-controlled trials of homoeopathy and allopathy」。書籍は『代替医療のトリック』。

*18:7/31に日本4大新聞のうち、読売新聞と朝日新聞が取り上げた。

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=28674

http://www.asahi.com/health/feature/homeopathy.html

*19:朝日新聞は日本四大新聞のひとつ。発行部数は日本で二番目。朝刊の発行部数は約800万部で2000万人以上が読んでいると言われている。

*20:きっかけとなった事件に関わることだけでなく、ホメオパシー自体の問題に切り込んでいる。apitalの特集記事 http://www.asahi.com/health/feature/

*21:日本学術会議」は日本を代表する科学技術機関。内閣府の特別機関。 『「ホメオパシー」についての会長談話』

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-d8.pdf

*22:特に注目すべきなのは、ホメオパシーに積極的に関わってきた助産師会も今までの方向性とは異なる声明を出したこと。

日本医師会」と「日本医学会」の共同声明 http://dl.med.or.jp/dl-med/teireikaiken/20100825_1.pdf

日本獣医師会https://seo.lin.gr.jp/nichiju/suf/topics/2010/20100824_01.pdf

「日本薬理学会」http://plaza.umin.ac.jp/JPS1927/oshirase/info20100825.html

日本薬剤師会」http://www.nichiyaku.or.jp/contents/kaiken/pdf/homoeopathy.pdf

日本歯科医師会」と「日本歯科医学会」の共同声明 http://www.jda.or.jp/text/homeopathy.pdf

日本助産師会」http://www.midwife.sakura.ne.jp/midwife.or.jp/pdf/homoeopathy/homoeopathy220826.pdf

*23:それぞれの団体が何回かコメントを出している。

ホメオパシー医学協会 http://www.jphma.org/

日本ホメオパシー振興会 http://www.hahnemann-academy.com/

日本ホメオパシー医学会 http://www.jpsh.jp/

*24:「ホメオパシー問題 厚労相、必要があれば調査進める意向」http://www.asahi.com/science/update/0825/TKY201008250313.html

*25:http://sp-file.qee.jp/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?page=%A5%DB%A5%E1%A5%AA%A5%D1%A5%B7%A1%BC

ふつうのひとだからこそできること

(ずいぶん前に書いたまま放置されていた文章があったので、思い切って公開。)

 

「聡明な人がスマートに問題を解決していくってのばっかりじゃ、普通の人に訴えかける力は弱いんじゃないか。ごく普通の人が普通の人なりに問題を解決していく姿が必要じゃないか。それを見せられるのはぼくじゃないか…。」

 ニセ科学批判も、科学的思考も、クリティカルシンキングも、どこかの誰かがやっているのをながめるものじゃない。ぼくらひとりひとりが日常生活で対面する様々な問題をくぐりぬける力だ。

 すばらしい理解力も、巧みな文章力も、専門知識も持たない「ふつうのひと」は、かしこい懐疑主義者が問題の本質を見極め分析したり解決したりする姿をみて、すごいとは思いもいつつも「自分にはできない」とも感じるだろう。

 例えば、科学者である菊地誠さん、天羽さんなんかが有名どころとしてあげられる。もちろんこれは一例であって専門知識に裏打ちされたニセ科学批判者は多い。Twitterやブログ繋がりでいえば、どらねこさん*1や片瀬さん*2、NATROMさんとか。直接専門でないころでも、持ち前のかしこさで、問題点を指摘したり、ばっさばっさと切っていける人もいる。pollyannaさんとか、もちまささんとか。

 こういった方々には、ちょっと敵うとか敵わないなとか考える余地もない。ぼくはそんな「ふつうのひと*3」の一人である。万が一、ぼくをかしこい人だと思っている人がいたら、それは間違いだ。これは残念ながら謙遜ではなくて、客観的事実。

 でも、ぼくは何ももっていないわけじゃない。ぼくが持っているのは経験である。ぼくは、経験のおかげで先人のかしこさを借りて、いろいろなことを語ることができる。おかげさまで、ぼくはまともな懐疑主義者、クリティカルシンカーとして評価されることもある。

 ほんとうのところはどうなのかというと…。ぼくは問題にぶつかるとオロオロする。スマートに解決できるほどの能力がないからだ。今まで読んだ本の中にスマートな解決例があったかもしれない。けど、思いだせない。記憶力に問題があるようだ。過去の自分の発言を漁ってみる*4。過去に読んだ本を漁ってみる。見つかった。じゃあ、それを書いていこう。だいたい、ぼくのやっていることはそんなことに過ぎない。

 ぼくらの大多数はふつうの人だ。かしこかったり、専門知識をもっていたりするひとは、その能力と努力の結果、目立つけれども、そうじゃない人の方が多いことはいうまでもない。「そんな人でも何かできるんだよ」ということを伝えられるのは僕じゃないだろうか。そんなことを考えている。

 

 いま僕らが直面している問題はありきたりなものではないかもしれない。でも、先人の知恵が全く役に立たないほど特殊な問題でもない。だから普通の人でも先人の知恵を借りてなんとかできるさ。

*1:管理栄養士

*2:サイエンスライター

*3:下手すると平均以下の能力しか持たない

*4:その時読んでいた本とか、Webページとかの影響を受けて書いただけの場合も多い