ふつうのひとだからこそできること
(ずいぶん前に書いたまま放置されていた文章があったので、思い切って公開。)
「聡明な人がスマートに問題を解決していくってのばっかりじゃ、普通の人に訴えかける力は弱いんじゃないか。ごく普通の人が普通の人なりに問題を解決していく姿が必要じゃないか。それを見せられるのはぼくじゃないか…。」
ニセ科学批判も、科学的思考も、クリティカルシンキングも、どこかの誰かがやっているのをながめるものじゃない。ぼくらひとりひとりが日常生活で対面する様々な問題をくぐりぬける力だ。
すばらしい理解力も、巧みな文章力も、専門知識も持たない「ふつうのひと」は、かしこい懐疑主義者が問題の本質を見極め分析したり解決したりする姿をみて、すごいとは思いもいつつも「自分にはできない」とも感じるだろう。
例えば、科学者である菊地誠さん、天羽さんなんかが有名どころとしてあげられる。もちろんこれは一例であって専門知識に裏打ちされたニセ科学批判者は多い。Twitterやブログ繋がりでいえば、どらねこさん*1や片瀬さん*2、NATROMさんとか。直接専門でないころでも、持ち前のかしこさで、問題点を指摘したり、ばっさばっさと切っていける人もいる。pollyannaさんとか、もちまささんとか。
こういった方々には、ちょっと敵うとか敵わないなとか考える余地もない。ぼくはそんな「ふつうのひと*3」の一人である。万が一、ぼくをかしこい人だと思っている人がいたら、それは間違いだ。これは残念ながら謙遜ではなくて、客観的事実。
でも、ぼくは何ももっていないわけじゃない。ぼくが持っているのは経験である。ぼくは、経験のおかげで先人のかしこさを借りて、いろいろなことを語ることができる。おかげさまで、ぼくはまともな懐疑主義者、クリティカルシンカーとして評価されることもある。
ほんとうのところはどうなのかというと…。ぼくは問題にぶつかるとオロオロする。スマートに解決できるほどの能力がないからだ。今まで読んだ本の中にスマートな解決例があったかもしれない。けど、思いだせない。記憶力に問題があるようだ。過去の自分の発言を漁ってみる*4。過去に読んだ本を漁ってみる。見つかった。じゃあ、それを書いていこう。だいたい、ぼくのやっていることはそんなことに過ぎない。
ぼくらの大多数はふつうの人だ。かしこかったり、専門知識をもっていたりするひとは、その能力と努力の結果、目立つけれども、そうじゃない人の方が多いことはいうまでもない。「そんな人でも何かできるんだよ」ということを伝えられるのは僕じゃないだろうか。そんなことを考えている。
いま僕らが直面している問題はありきたりなものではないかもしれない。でも、先人の知恵が全く役に立たないほど特殊な問題でもない。だから普通の人でも先人の知恵を借りてなんとかできるさ。