本当に「ダメな俺を丸ごと受け止めてくれ症候群」なのか?
「ダメな俺を丸ごと受け止めてくれ症候群」というエントリが話題になっていて、その心理的な戦略(メカニズム)を分析したとする「「ダメな俺を丸ごと受け止めてくれ症候群」のメカニズム - シロクマの屑籠」も話題になって上がっています。
後者のエントリの分析はそれなりに妥当なものだと思われるのですが、決定的なキーワードが出てこないところをみると、たぶん心理学にはそれほど明るくない方なのだと思います*1。せっかくなので、心理学ではどのようなキーワードに当てはまりそうか書いておこうと思います。
セルフハンディキャッピング
心理学で言うと、これは「セルフハンディキャッピング」と考えるのが妥当に思えます。
「セルフハンディキャッピング」は、自分が不利な要素を持っていることを主張することで、相対的に「その割には成果を上げている」という評価を得ようとする戦略です。社会生活では大いに用いられている*2にも関わらず、殆ど効果の無い(時に逆効果である)戦略として知られています。
「割引原理」と「割増原理」
心理学では、なにか有利な原因が思いつくなら、相手の成果への評価は割引される「割引原理」や、なにか不利な原因が思いつくなら、相手の成果への評価は割増される「割増原理」というものもあるとされいます。
「セルフハンディキャッピング」の戦略は他者とのコミュニケーションが存在するときに目立ちますので、割増原理を狙っていると考えるのが妥当だと思います*3。そういった意味では合理的な戦略とも言えます。
目的は自尊心を守るため
セルフハンディキャッピングは対人コミュニケーションの場でよく用いられるものの、基本的には自尊心(自尊感情)を傷つけないように準備するものだと考えられています。努力したのに失敗したら、自分の能力のなさを有無を言わさず突きつけられる(又は他人に明らかになる)ため、事前に逃げ道を用意することで自尊心を守るわけです。
私としてはこういった視点から、取り上げたエントリの例は「ダメな俺を丸ごと受け止めてくれ症候群」というよりは、自分にはこんなにハンディキャップがあるのに、それでも人間としてダメというほど酷くないでしょ?現実に友達としてやっているし…。失敗しても当たり前だよね、こんなにハンディキャップがあるんだから…。という「背景からすると本当はこんなにダメなはずなのにそこまで酷くもないでしょ?症候群」なのではないかと思ったりもします。
いや、素直に「セルフハンディキャッピング症候群」ですね。
ふたつのセルフハンディキャッピング
セルフハンディキャッピングには、大きく分けてふたつのものがあります。ひとつは「セルフハンディキャッピング行動」で、もうひとつは「セルフハンディキャッピング報告」です。
セルフハンディキャッピング行動は、試験前に勉強をせずに「全然勉強してこなかったよ(だから試験結果が悪くても当然だよね)」といったように失敗したときの言い訳を用意します。
対して、セルフハンディキャッピング報告は、試験前の勉強自体はしますが、他人に対しては「全然勉強してこなかったよ」と言うようなことです。
対人関係では(実際のところはうまくいかない場合の方が多いものの)「セルフハンディキャッピング報告」で十分ですが、自分自身はだませません。そのため、「セルフハンディキャッピング行動」の方が自尊心を守るためには効果的です。
自己成就予言
しかし、ふたつのセルフハンディキャッピングを比較すると問題が大きいのは「セルフハンディキャッピング行動」の方です。これは、現実に自分を不利な状況に置くことで、本当にハンディキャップを負ってしまうからです。「勉強をしない」というハンディキャップを自らに課し「試験の結果が悪い」という結果を引き寄せてしまうのです。これは、自分で用意した言い訳(予言)を自分で現実化(成就)する様から、「自己成就予言」と呼ばれます。
人付き合いでも、自分のネガティブな予測(ハンディキャップを十分に含んだもの)に怖気づいた行動をとることにより、相手に悪い印象を与えてしまい、本当に関係が悪くなるといった形で現れる場合があります。
私は自己成就予言を悲劇だと思います。
自尊心を守るのは大事。でも…
私たちの半分ぐらいは、平均以下の能力しか持たない人間です。しかし、そういった事実を受け入れることは難しいことです。誰しも自分は特別で、ある面ではそこそこ優れていると信じたいのです。
さらにいえば、自己欺瞞や自尊心を守るために現実には見合わない自分の能力を信じることは、健康な精神を保つのためにも不可欠なことです*4。
自己欺瞞は楽観的な自己評価ぐらいに留め、自分の本来の能力よりも低い実績しか出せなくなる可能性が高い「セルフハンディキャッピング」は、意識的に避けた方がよい戦略といえるのではないでしょうか。