寂しい気持ち

404 Blog Not Found:疑う者を信じよ - 書評 - 疑似科学入門という書評を読んで思ったことが。小飼 弾氏が疑似科学ニセ科学に言及するたびに寂しくなります。

いや、私としてはアルファブロガーという立場の人がどんどん「ニセ科学」や「疑似科学」に言及してくれるのは、本当に嬉しいことなのです。

でも、その影響力が大きいだろうだけに、なんだかマスコミで酷い誤解込みの内容を流されているような、すごく寂しい気分になるときも多いわけです。

読書も苦痛じゃなく、理解力もあるのでしょうから、せめてまともに理解してから書いてほしいのです。

追記 5/14

脊髄反射的にエントリを上げてしまったので追記します。

科学の本質

私はだから、科学そのものを全面的に信用することは出来ないけれど、科学者たちが日日それを「デバッグ」していることを信じることが出来るし、明日の科学が今日の科学より「よく」なっていることを信じることができる。

デバッグ*1し続けるのが科学の本質であって、それ以外は派生物です。弾氏の言う「科学」は、科学的方法を用いて導かれた暫定的結論である「科学理論」のことでしょう。

「科学」について語るなら、個々の結論ではなく、その「考え方」や「システム」に目を向ける必要があります。

個々の科学者も間違いやすい一人の人間でしかないのです。ときに不正をする人も居れば、ものすごい思い込みに陥ったりもします。しかし、全体的に見たとき科学の営みは着々と真実へ漸近していきます。科学が出す結論は昨日より少しだけ前に進んでいます。

それは、自己修正というシステムが、科学の本質として組み入れられているからなんです。弾氏の言葉を借りればそれが「科学そのもの」なんです。

*1:科学理論はより大雑把な結論から、より繊細な結論への移行が多いのであって単なる間違いという印象を生むこのメタファも微妙だけど、メタファはどこまでもメタファですしね。