トンデモさんは自分に当てはまる言葉で他人を批判する

スキーマ

認知心理学では、物事を理解するために利用される知識の枠組みのことをスキーマ(schema)と呼ぶ。人は様々な経験の中で様々なスキーマを形成する。そして、話題によってさまざまなスキーマを切り替えてもいる。特に難しい話ではなく、誰もが無意識にやっていることだ。そして、何かを理解するためには必ず必要なことですらある。

なぜならば、理解に必要な情報が十分そろっている物事など、まずないからである。親しい家族との日常会話でも、僕らは家族の持つ前提知識やこれまでの言動を元に意味を推測する(つまり、スキーマを利用する)。そういったものが全くない他人の場合、真意を理解するのは難しい。

新しい分野の本を読むときにスキーマの存在を感じる人もいるかもしれない。その分野の1冊目に読む本はゆっくりとした速度でしか読めないが、5冊や10冊ぐらい読むと、非常に早く読むことができる。これはその分野についてのスキーマが出来上がったために、理解が楽になった効果だ。

蛇足だけれど、自分の言動すら、僕らは「自分はこういう人間だ」というスキーマを元に推測しているに過ぎない*1。その方法を他人に適用したのが、他者理解になる。

トンデモさんは自分に当てはまる言葉で他人を批判する

オカルトや超常現象、ニセ科学などの議論が続くと、「トンデモさんは自分に当てはまる言葉で他人を批判する」と呼ばれている投稿が必ず現れる*2

この原因は、自分を理解するためのスキーマを使って他人の投稿を読むために起こっているものだと考えられる。「こんなことを言うのは、こういう背景があるからだろう」という推測、つまり行間を読むのは、自分のスキーマをベースに考えているわけだ。「自分がこんなことを言うのは、こういう場面でだけだから…」というわけである。なら、自分もそういう方法(あくまで推測)で応酬してやろうとして、トンデモさんが応酬のための批判をはじめると「トンデモさんは自分に当てはまる言葉で他人を批判する」になる。

先に書いたように、自分のスキーマを使って他人の主張を理解しようとすることは、誰でも日常的に行っていることで、これ自体はなにもおかしなことではない。しかし、トンデモさんの場合、そのスキーマが他人(主に批判者)から見て特殊なものであるため目立つというわけだ。

他者理解を志さない批判は自分のスキーマさらし

実際のところ、こういった傾向はトンデモさんに限った話ではない。他者理解を伴わない(つまり、議論相手用のスキーマを形成する努力をしない)批判をするのならば、懐疑論者だってそうなるのだ。トンデモさんとの違いは目立つか目立たないかといったところである。結果的に、こういったタイプの批判をするときは、自分のスキーマをさらすことになっている。

それは、批判でも議論でもなく、自分語りに過ぎないかもしれない。

*1:無意識は常に意識に先行するという心理学研究もある。「受動意識仮説」などを参照のこと。「盲視」などの現象もこういった研究を支持する結果だろう。

*2:僕は非合理信奉者を「トンデモさん」と呼ぶのは嫌いなので、ここでは「一般にそういう話がある」というだけの話としてとらえていただきたい。おそらくと学会の山本会長が提唱者。