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信奉者の説得についての経験談と思うこと

懐疑 コミュニケーション

何度か語っていることではあるけれど、僕は超常現象信奉者として、後には超常現象懐疑論者として掲示板上での議論を続けていた。話題は超常現象だけにはとどまらず、俗にいう「ニセ科学」の議論になったことも沢山ある。
そういった歴史の中で、信奉者に説得を行ったことも少なくない。オープンの場で行ったこともあるし、メールでのやり取りのこともある。これから、何度か説得についての僕の思いを書いていきたいと考えているのだけど、はじめに、僕が信奉者の説得についてもっている印象を書いてみたいと思う。当然、客観的事実とか普遍的な原則とかを話したいわけではなく、あくまで経験談であり、印象論にすぎないことには注意してもらいたい*1

説得の受け入れやすさ

僕は傲慢にも「科学的考え方の啓蒙をするんだ」という思想を持っていた*2。だから、信奉者とのコミュニケーションが説得になるのも自然なことだった。結果、様々な人に対して説得しようと試みてきた。その中で思うことがある。それは、年齢や性別によって説得の受け入れやすさが違うという傾向があるのではないかということだ。
ざっくり言えば、年齢は若い方が説得を受け入れやすい。そして、女性の方が説得を受け入れやすいということを感じた。ここにはなんらかの理由があるのかもしれないけれど、特にアイデアもないので印象を語るだけにする。ただ、40代以降の男性を説得対象に選ばない方が良いだろうということだけは言ってしまおう。

信奉者の説得が成功するなんて稀なことだ

説得に関して言っておかなければいけないと思うのは、説得が成功することなんてまずないということだ。もし、説得に挑戦したことがある人なら嫌というぐらい感じていることだと思う。これについては、きちんと理由があると考えているし、「説得が成功しないなら説得コミュニケーションにたいした意味はない」という考えは間違いだと思っている。ただ、この話はまた次の機会にしたい。
逆に驚くべきことだと思っているのは、説得に成功したことも何度かあるということだ。ここにそのやり取りを公開することはできないのだけど、確かに考えを変えてくれたようだった*3
僕は元超常現象信奉者で「本当のことを知るためなら自分の今の信念なんてなんぼのもんじゃ」と考えていたにも関わらず、信奉者から懐疑論者に転向するのに年単位の時間を要した。信念を変えるのはそれほど難しいことなのだと思っている。それなのになぜ、僕から説得されたぐらいで信念を変えてしまうことができたのだろう。もちろん、強固な信念をもった信奉者ではなかったということもあるだろうけど、それだけじゃないのではないか。

信念を変える足掛かりがあるのかもしれない

僕が直接的な対話で説得に成功した人というのは、例外なく育児中の母親だった*4。子供の健康や幸せを思う気持ちから自発的に色々なことを調べ、ニセ科学やニセ医療にはまった人たちだったのだ。
たぶん、母親たちの子供を思う気持ち*5が、自分の信念を覆すときの支えになったのではないか。僕はここに答えがあると考えている。それは信念を変えるための足掛かりをもっているということだ。
多くの人は、自分の信念を否定されると人格を否定されたと感じてしまう。批判活動なんてことをしているとよくぶつかる話だと思う。だけど、これは当然のことだろう。信念というのは、自分が自分であるという確かな足場なんだから。足場を崩されて宙ぶらりんになることに反発するのは当然のことだ。
しかし、育児中の母親は「子供のため」という足場さえ守れるのならば、他の信念を変えることもできるのではないだろうか。

崩さなくて済む足場をつくろう

育児中の母親の説得ができたというのは、結果だけで見れは成功だった。でも、こう考えていくと危うさも残ったままだと気付く。彼女たちが子育てから解放されたとき、人知れず「崩れない足場」もなくなってしまうことになる。
懐疑論者は「事実に拘ること」「証拠の強さに応じて信じること」「不正確な認識、間違いは継続的に修正すること」なんかを足場にすることで、意見を変更しても足場が崩れない状態を作ることができている。だからこそ、新たな証拠が今まで信じていたことを覆しても耐えることができる*6
僕が懐疑主義とか、科学的思考とか、クリティカルシンキングを推す理由というのは、こういうところにある。自分の信念にとらわれて硬直してしまうことを防げる。つまり「自由」のためだ。

*1:それでも、なんらかの意味があると考えているから公開するわけなんだけど

*2:そして今も持っている。ただ「啓蒙」という小難しい言葉が自分の考えに合っているのかは、未だによくわからない

*3:絶対数は少ない。もちろん、表面上考えを変えているように見えてただけという可能性もあるけど、僕はそう思っていない

*4:「議論をギャラリーとして見ていて、考えを変えました。」と言われたことも何度かあるけれど、その人たちは含まない

*5:周りからのプレッシャーみたいなものもあるかもしれないけれど…

*6:とはいえ、そこまで完璧な人はいなくて、新たな証拠を受け入れるのに時間がかかることもある