求められているのは当たり前の誠実さではないだろうか

はてな匿名ダイアリーの「http://anond.hatelabo.jp/20081222202621」というエントリを読んだ。「池田信夫ってそんなに変なことばかり言ってるか?」を受けて書かれたエントリだ。

8.a.自分のよく知らないことについては発言せず妥当性が高いと思われることについてしか発言しない口数が少ないが誠実な学者と、b.自分のよく知らないことであっても果敢に思考し、学問間のネットワーキングを図り、啓蒙することに価値を見いだす学者 という二種類の学者がいるのだとすれば、池田さんは後者(b)の部類に属する。

もともとは池田信夫氏へ言及なのだが、学者云々とは関係なく、アルファブロガーと呼ばれる人の多くは「また○○か」といわれる傾向に有る。具体例をあげれば、畑違いの分野に言及した弾氏やfinalvent氏のようなパターンである。

匿名ダイアリーの言う8(b)の立場は必要なのだろうし、沢山いても構わないと思っている。しかし、視点の置き方についてはちょっと疑問である。そもそも問題は「間違ったことを言う」ことなのだろうか?「畑違いの分野に言及する」ことなのだろうか?違うと思うのだ。

自分が断言したことでも間違っていれば撤回する(必要に応じて訂正する)という誠実さ。自分が言及すること(したこと)をきちんと知ろうとしているか?という知的誠実さ。求められているのは、そんな当たり前の誠実さじゃないんだろうか。

追記(2008-12-24)

ブクマへ返信

id:titton 誠実さってそんなに大事なの?欠陥のある主張は他人によって検証され指摘されればいい。本人が認めたり撤回したりする必要などない。それとも誠実な人間の主張ならろくに検証せずに信じるのか?

誠実でない人は手厳しい批判を受ける場合が多いのではないでしょうか。誠実であれば単なる事実の指摘で終わる場合も多いでしょう。「また○○か」と言われる頻度は減るかと思います。
主張の信頼性は基本的に別問題です。といっても、誠実な人ならば「ろくに調べずにものを言っている」「無根拠の思いつきを言っている」「嘘をついている」という可能性は、不誠実な人に比べて相対的に低くなるので、関係がゼロだとは思いません。

追記(2008-12-25)

元記事の方の追記で言及いただいたので返信。

・「誠実さ」概念をめぐる指摘には同意するし、すばらしい指摘だとは思います。
・だけれども、「誠実さ」という変数だけで全部解決しようとしても、そこでもまた、ディスコミュニケーションは起こりうるのでは?

うーん。私はそれほど色々なことを考えてこのエントリを書いたわけではなく、誠実でなければ議論は成立しないし、誠実でない行為が繰り返されれば、議論をする能力のある人も「また○○か」で済ませるように動機付けられるのではないかと思っているだけです。

それから、誠実さは議論における必要条件であって、十分条件ではありません。また、誠実さの線引きについて考える必要はないと思います。誠実である(白)と誠実でない(黒)の間には、広大なグレーゾーンがあって構わないと考えています。もちろん、グレーゾーンがあるからといって、白と黒の区別がつかないわけではないというのが前提ですけれど。

それから、「誠実さ」という言葉が独り歩きしてしまうかもしれないので、念のため注記しておきます。ここで言っている誠実さは辞書的な意味より限定的です。