科学を信仰してもいいよ。それが本当の科学ならね。
ニセ科学批判批判で「素人には科学の成果が正しいかどうかなんてわからない。科学科学って言うやつも、結局のところ科学の出した結果を信仰してるだけ」なんて話をよく聞く。なんというか、もう科学なんか信仰しちゃっていいよ。本物の科学なら。なにか問題ある?
僕らが疑うなんて面倒なことをしなきゃいけないのは、本物の科学に見せかけたニセモノの主張が多いという問題があるから。いわゆるニセ科学が存在するから、変なものを本物の科学だと勘違いして信じないようにするため、調べることが必要だってわけ。
それから、本物の科学をやってる科学者でも、自分の思い込みで、科学とは全く関係ないこととか専門外のことまで、知ったように語ることがある。これも、僕らは見定めて信用しないようにしないといけない*1。
ニセ科学批判をしている人は、ある主張に出会ったとき、第一ステップとしては「科学って主張されているけど、本当にそれって科学なの?」というところを疑問に思って調べるわけ。次の段階は、その主張がどういうところで論理破綻しているか、デタラメを言っているかとか、そういうことの分析。最終的には信じてる人(信じそうな人)にどう伝えるかみたいな話になるけど。
科学を信仰することが問題だというのならば、どんどんまともな科学哲学やってください。僕らには、そういう話はたぶん関係ない*2。
科学の成果というのは、万能には程遠い人間がもがいた末にたどり着いた「いまのところこれ以上確かな事は言えないな」といったもの。それ以上に確かなことを知ってる人なんていないんだから、別に信仰しちゃったって問題ないよ。
追記(2008-12-11)
「信仰」って表現に違和感を感じるというもっともな指摘が沢山ありました。もちろんこういったところで「信仰」という言葉は適切ではなく、「信用」「信頼」と表現した方が適切だと思います。でもあえて「信仰」という言葉を使ったのは、ブクマのkurokuragawaさんの言葉を借りれば「信仰と呼びたい者は呼べ」という気持ちです。