文章読解力は科学を操る能力に類似したものである(かもしれない)

おそらく人文学系の方で、きちんと研究されているものだと思うのですが、私は人文系の話は疎いため、自分の経験から感じたことを元に書いていきます。id:dlitさん辺りがもっと適切な話*1を出してくれるのではないかと期待してエントリを上げます。

書いていないことを勝手に読み取るな

議論ではよく「書いていないことを勝手に読み取るな」といったことが言われます。
そもそも「異なる前提」を持った人同士が話をするのですから、「勝手に読み取った」行間は、不正確な場合が多いわけです。なぜなら、行間を読むためにはなんらかの補足情報が必要であり、その補足情報が「異なる前提」だったりするからです。
不正確な読み取りが頻発すれば、「そこはそういう意味じゃない」「いや、そう読める」という、不毛なやり取りが延々と続くことになるわけです。

文脈を読め

また、「文脈をきちんとよめ」といわれる場合もあります*2
自然言語というのは、きちんと定義された用語ではなく、曖昧なものです。そして、私たちは常に正しい日本語*3で文章を書いているわけではありません。
それから、同じ文章でもふたつ以上の意味にとれる文章もあるでしょう。さらに、同じ文章であっても、その前にある文章やその後に続く文章によっては、全く反対の意味になってしまうこともあります。
つまり、文章を読むためには、文脈を読むことは必須です。

対立する両者の主張は何か?

「書いていないことを勝手に読み取るな」と「文脈を読め」は、対立した主張に思えます。しかし、確かに両方とも大切です。
文章を読むために文脈を読むことが必須だというのならば、「書いていないことを勝手に読み取るな」の方に、違った含意があると考えるべきでしょう。改めて書く必要もないと思いますが、その含意は「間違った憶測を前提に話を進めるな」ですね。
つまり、有意義な議論をしようと思った場合、なるべく正確な「仮説」を立てるように努力する必要があるわけです。

どうやってなるべく正確な仮説を立てるのか?

読み取る側は、様々な周辺的事実や質問などを使って推測の質を高めるしかないというのが現実です。そしてこの過程は、文章の分析をするような論理的過程というよりは、人を対象として観察と実験を行うような科学的な過程です。

例えば、ひとりの文章を読んでいても、互いに矛盾しているような記述に出会う場合があります。このとき、その人の意見が変わったのか、ひとつの文脈として読む*4のかは、主張者自体が「意見が変わりました」などと表明していない場合は難しいものです*5。こういったものも、様々な事実の突合せや質問などのアプローチで明らかにしていくわけです。

論理的ではあるが科学的ではない場合

ここで問題になるのは論理は操れるが、科学的方法は操れない人です*6。もちろん、このような人も前提を共有した者同士であったり、厳密な話をしない場合は問題が起こらないのですが*7、込み入った議論では、コミュニケーションが失敗します。
論理的なアプローチは、文脈を取り去った「字面」の解釈として可能なものを積み上げていく方法なので、やっているものにとっては、非常に筋道が通っているように感じてしまいます。そのため、自分の主張を正当なものだと誤解しやすく、その誤解を解くのも難しいといえます。

選択的思考が加わると崩壊を始める

そこに選択的思考が加わると、さらにコミュニケーションが崩壊します。特殊な選択的思考の実例としてABO FAN氏発言を見る - Skepticism is beautifulで示したようなものもその例です。最終的には、文脈がどこかに忘れ去られ、文章のパッチワーク化が起こります*8
文章のパッチワーク化は、パッチワーク化する方も結構な労力のかかる作業なので、本気で議題を考えていて、さらに信念が強い場合に起こるような傾向があるように思います。
こうなると、対立する多くの人から「文章読解力が破綻している」とか「日本語がぶっ壊れている」と言われるようになります。

別に信奉者だけの問題ではない

しかし、これは別に超常現象信奉者などの非合理信奉者に限った問題ではありません。
懐疑論者とみなされている人であっても、科学的な方法を使う場面だと気付かず、コミュニケーションを論理的な過程でやってしまう人は、同じ問題に陥ります。ただ、前提*9が客観的事実に基づいたものである場合が多いため、妥当な結論を主張することになり、目立たないだけです。
もし、懐疑論者が信奉者の意見を「全く理解できない」と感じることがあったとすれば、それは、対象が科学で言う「未科学」の状態にある可能性が高いと言えます。労力を理由に探索を諦めるのは自由ですが、この時点で「信奉者の知的能力が不足している」と考えたとしたら、それは間違いです。

コミュニケーションを成立させるには?

残念ながら「狼男を撃つ銀の弾丸は無い」ということになるでしょう。議論相手との前提が共有できるところまで後戻りしたあとに、議論の主題に戻ってくる必要があります*10

*1:間違いの指摘や参考になる情報

*2:これは「空気を読め」といった意味で使われる場合もありますが、今回対象としているのは、本来の意味での「文脈」です

*3:そもそも科学的な定義のように使える(又は数学的な)「正しさ」があるのかも分かりませんが

*4:一見矛盾しているようだが、矛盾しなくなるように再解釈する。意外に多いパターン。

*5:場合によっては主張者自身が、自分の中での意見の変異に気付いていないこともあります。

*6:賢い人が多いのではないでしょうか

*7:日常生活では問題が発覚しない場合が多い

*8:私の経験では、「病的科学」という専門用語を「病的」と「科学」に分けて論理的につなぎ合わせて、「何が病的なのか?」みたいな話になったこともあります。まあ、これは単語を知らなかったという点も大きいのですが。

*9:暗黙の前提やそもそもの文脈

*10:多くの場合は話がどんどん脱線していくように感じられることでしょう…。