「いじめ」とか「いじり」とか

いじめ/ファシズム/引きつった笑い - 過ぎ去ろうとしない過去」あたりの話。

「ニコニコ大会議*1」で、話者のストリーミングビデオにリアルタイムに罵倒語が書かれたということで、それは「いじめ」と同じだろう、いや違うという議論が起こっているようだ。

「悪意はないんだからいいじゃないか。」とか、「本人は問題を感じていないのだから問題じゃない。」とかいう「いじめじゃない派」の話を聞くと、水からの伝言と道徳の問題を思い浮かべてしまうのは、きっとニセ科学批判脳。

個人的には、罵倒語を書き込むということに嫌悪感を感じるし、ニセ科学批判脳が勝手に水からの伝言と道徳の問題に結び付けてしまったので、「いじめじゃない派」に反発を感じる。

しかし、「さぶい」とか「空気よめ」とかいって、正当化する必要性すら感じない人*2は、正当化のための議論をしている「いじめじゃない派」の人よりも問題を孕んでいるのかもしれないなと、ふと思う。

*1:そもそもこれが何なのか良く知らないのですが

*2:目立たないが、たぶん多くの人