説得:逃げ道の用意をすべきである理由
今回は、「説得の方法を考える(そしてやはり挫折するかも) - Skepticism is beautiful」のポイント3「逃げ道の用意」について書きます。逃げ道は必要という話について、菊池誠教授が一度「逃げ道は塞がない」という批判の指針に触れていたことがあるぐらいで、議論や批判の文脈では殆ど聞かない話です。
認知的不協和の解消
前回*1「認知的不協和理論」に触れました。もともと持っていた知識と、新たに提示された知識が矛盾する場合、認知的不協和がおき、人は、その不協和を解消するように動機付けられるという話です。
自分の知識と矛盾する知識に出会ったとき、「認知的不協和」が生じる事自体は特に問題のあることではありません。問題は、不協和を解消するときにどのような方法をとるかということです。
不協和を解消しないという選択肢はあるものの、既に不協和関係を解消するように動機付けられているので、解消しない状態に置くのは不安定で難しいと言えます。結果、殆どの場合は不協和関係を解消するわけですが、解消の方法は複数考えられます。
- 新しい情報を無視して古い情報を保持する
- 新しい情報を軽視して古い情報を保持する
- 古い情報を捨てて新しい情報を受け入れる
- 新しい情報と古い情報を共存させる
- 新しい情報をベースとし、古い情報を新しい情報に都合のいいように解釈しなおす
- 古い情報をベースとし、新しい情報を古い情報に都合のいいように解釈しなおす
- その他(たぶん抜けてると思うので)
説得において目指しているのは、「3.古い情報を捨てて新しい情報を受け入れる」です。「4.1. 新しい情報をベースとし、古い情報を新しい情報に都合のいいように解釈しなおす」でもいいのかもしれませんが、多くの場合はこれも欺瞞になると思われるので注意が必要です。
このような考え方から、「認知的不協和を生じさせる」+「他の選択肢を十分潰す」という対処によって、説得を行うわけです。
なぜ逃げ道を塞いではいけないか:説得が逆効果になる可能性の高いパターン
逃げ道を塞がないという指針の背景には、「True Believer Syndrome(信じ込み症候群)」というものがあります。これは大変恐ろしい結末として知られています。「Skeptic's Dictionary」や「懐疑論者の祈り」でも詳しい説明をしているページがありますが、ラマー・キーンの『サイキック・マフィア―われわれ霊能者はいかにしてイカサマを行ない、大金を稼ぎ、客をレイプしていたか』を読んだ方が切実に理解できると思います。
また、認知的不協和理論の提唱者である、レオン・フェスティンガーの『予言がはずれるとき―この世の破滅を予知した現代のある集団を解明する 』のカルト教団信者達のケースも「True Believer Syndrome」の一例だと考えられています。
True Believer Syndromeの発動条件は以下のようなものだと考えられています。被説得者が1〜3の条件を満たしているのならば、説得によって4の条件を付け足すことはかなり危険です。いくつかの条件がリセットされない限り、説得を行うべきではないと言えるかもしれません。
- 強い確信があり、行動に結びついている
- 信念に深くコミットしており、重要な決定を既に行っている。
- 信念は明白に特定でき、現実の出来事と関係がある。
- 信念が誤りである否定しがたい証拠がある。
殆どの場合、インターネット上の議論では干渉できない範囲なので、説得を諦めるのが正しい選択ではないかと思います。このパターンは本来の目的を達成できませんが、逃げ道が必要というわけです。
逃げ道を提供するべき:説得を行っても問題なさそうなパターン
説得が受け入れがたいものであるのは、現在の認知を変えるのが労力を必要とするものだというだけではありません。多くの場合、それは自分の無能さや不用意さを受け入れなければいけないことになるからです。何度か書いたように、誰しも自分を無能だとは思いたくないわけですから、ここにも認知的不協和が生じてしまうわけです。
多重に起こった不協和関係からは逃げたくなっても不思議ではありません。そこで必要だと考えるのが、積極的な逃げ道の用意です。
幸いなことに、私たちはバカだから非合理を信じるわけではないことを知っています*2。つまり、私たちは「自分を無能だとは思いたくない」気持ちと「自分の認識の誤り」という不協和を解消できる知識を持ち合わせています。
つまり、本来の説得に付属的についてきてしまう認知的不協和は「4.2.古い情報をベースとし、新しい情報を古い情報に都合のいいように解釈しなおす」に導くことが可能です。そもそも、古い認知を捨てなくても良い対応*3は、不協和の解消の中では楽な方なので、比較的難しくない仕事になると思われます。
何に気をつければいいのか
「こんな簡単なことをなぜ理解できないのか」式の説得は、2つの認知的不協和を解決しなければならない、困難な道になります。無駄に問題を難しくする必要はないのです。
説得が説得である以上、相手の意見を変えることが目的のはずです。変えたい意見は、相手の自己評価ではないでしょう*4。相手が自尊心を傷つけなくても済むように、意見を変えたことを合理化できるように手伝いながら説得するのが大切です。