信奉者の問題を過大評価する可能性のある4つのバイアス
はじめに注意しておきたいのは、人間には様々なバイアス*1が存在しますが、それはバイアスと反対方向に認識を偏らせれば正しいということを意味するわけではありません。バイアスの反対方向の考えがよりもっともらしいというわけでもありません。
単に、バイアスを起因とする非合理な評価の偏りが存在しないかに注意を払う必要があるということを意味するだけです*2。
批判者が陥りやすいバイアス
信奉者だけでなく、批判者が陥りやすいと思われるバイアスをいくつかあげてみます。以下のリストは網羅的ではありませんし、説明の長くなりそうなものや何にでも当てはまるものは上げていません。
- 法外な結果には、法外な原因があると考えやすい*3
重大な結果を伴う事故には、重大な原因があると考えやすい傾向があります。例えば、医療事故、交通事故などで患者、被害者が死亡した場合、「死亡」という取り返しのつかない結果になったのだから、医師やドライバーに重大な過失があるはずだと考えてしまう傾向になります。
議論においては、信奉者と自分の答えがあまりにも違う場合、又は、信奉者が重大な問題を起こしている場合*4、信奉者の信念にはかなり大きな(又は沢山の)間違いが含まれていると考えやすいということになるでしょう。結果は重大だったかもしれませんが、原因は些細なものかもしれません。
- 基本的帰属錯誤の「行為者−観察者効果」
自分の失敗(間違い)なら外的要因*5に原因を求めるのに対し、相手の失敗(間違い)は内的要因*6に求めるバイアスです。
信奉者の能力が劣っている*7と考えたり、性格に問題があるから間違いに固執しているのだと思う傾向になります。本当は相手の置かれた環境の要因が大きいのかもしれません。
ケリーの立方体モデルを用いることで、ある程度妥当な推測をすることが可能だと言われています。
- 総意誤認効果
「他者の態度の分布を自分の態度に引き寄せて推測してしまうこと」と説明されます。自分の意見が他の人に支持されていると考えがちというバイアスです*8。
以前書いた常識の問題*9に通じます。合意のとれていない前提を相手に求めているかもしれません。
- 後知恵バイアス
「そんなこと、事前に十分予測できただろう」と感じたとしても、それが事実かどうかは分かりません。自分が同じ立場であれば、予測できず全く同じ行動をとったかもしれません。結果を知ってからでは、結果という知識が邪魔をして、「本当に十分に予測できるものだったのか」という客観的な評価が難しくなります。総意誤認効果との複合技で、より強いバイアスになります。
それは弱い意味での批判的思考ですよ
批判的思考の本や認知心理学、社会心理学の本を読んだとき、批判対象(信奉者など)がどれぐらいそれに当てはまっているかだけに目が行き、自分のバイアスを見逃していませんか?批判対象を不当に貶めていませんか?
参考文献
人は誰しも沢山のバイアスをもっています。それは単に間違いというわけではなく、ヒューリスティックな情報処理をするために必要なものでもあります。より詳しい話は以下の本が参考になります。
『考えることの科学―推論の認知心理学への招待』
『人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか』
『クリティカルシンキング (入門篇)』