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信奉者の説得について

信奉者の説得について、色々な意見が出ています。なかなか高尚な意見が多いなというのが正直なところです。

poohさんエラー:So-netブログのコメント欄に端を発し、TAKESANさんのところ(説得という事: Interdisciplinary)や、id:dlitさんのところ(「ビリーバーは説得できない」について - 思索の海)でもエントリがあがっている。

相手に直接伝えることの問題

正直な話、問題はもっと下世話なところにあると思います。私が考える「信奉者は説得できない」という発言の問題は、批判者がそれを明言すること自体にあります。「あなたはバカなので説得できるわけありませんよね。*1」と言われた時に、誰がその人の話をひとまず聞いてみようと思うでしょうか?*2

いや、もちろん聞く人もいるでしょう。しかし、その人は高い確率で「批判の反論」又は「自身の正当化」という強い動機付けができています。そんな状態では届く言葉も届かないでしょう*3

対話の途中で実際に相手に「説得できるとは思っていません」と投げかけなくても、そういった発言を公にしているのであれば効果は少々弱まるだけで同じことだと思います。

ギャラリーへの影響

それでは、ギャラリーとしてみている信奉者にとってはどうでしょうか?ある程度判断力のある人ならば、自分が信奉者側に居ることは理解して論争を眺めているはずです。そこに「信奉者は説得できないから」という言葉を投げかけたらどうでしょうか?

意見を受け入れないように動機付けられる可能性は十分あるでしょう。間違えるポイント・傾向はガチガチの信奉者でもゆるい信奉者でもそんなに変わりませんし、あえて言うなら懐疑主義者でもそんなに違いません。

この言葉(だけ)を聞くと、どうも上から目線を感じるとか、馬鹿を切り捨てているとか、そういう「「お前らは違う何かだ」みたいに言うなよ」というような類の感想を持たれてしまうことがよくあるようですが

「ビリーバーは説得できない」について - 思索の海

そういう印象を受ける人がそれなりに居るだろう事は想像に難くないということですね。それは、信奉者に限りません*4。これはキャッチフレーズ化されて使われるとより大きくなる問題です。そして、一部ではキャッチフレーズ化していると感じています*5

公に表現するメリットは何か?

私は、「信奉者は説得できない」と思っていないので、そういった発言をしたことがないと思います。正直なところ、そういった発言に何の利益があるのかよくわかりません。つまり、私はリスク=ベネフィット関係から、「信奉者は説得できない」と発言することは、百害あって一利無しだと考えています。

「説得できる」と考えていた場合の問題が存在しないわけではありません。「説得できるはずなのにできない」という現実にぶつかったとき*6、「説得できる」という信念に固執すれば、そこには誰も得をしない不幸が生まれそうです*7。その対抗信念として「信奉者は説得できない」という信念を用意することが健全なときもあるかもしれません。

でも、そういったことではないのです。誤解して欲しくないのは、私が問題視しているのは「考えること」ではなく「公言」することだからです。

一転

ある意味でトートロジーでして、「説得できないほどのビリーバーは説得しない」というような意味です。
説得できないほどかどうかは対話を通して見極めているつもりなのですけど、どうやってとか、何を根拠にとかは人に伝えがたいです。こういうのは、勘と経験なので(^^
そういう意味では、「説得の通じないビリーバーがたくさんいることを知っているので、そういう人たちに対しては説得の努力をしない」と言ったらいいのかな。
by きくち (2008-06-17 23:32)

エラー:So-netブログのコメント欄

私は、「信奉者は説得できない」がキャッチフレーズ化された*8大きな原因のひとつが、きくちさんの発言だと考えていました。ところが、ここできくちさんと私の間に、認識の違いが殆どないと分かりました。頑張って上ったところでハシゴを外された気分です。

それなら、キャッチフレーズは「説得できないようなら、それ以上の説得をあきらめる」でいいのではないでしょうか。

追記(2008-06-19)

この話題について、新たに、apjさんのArchives » ページが見つかりませんでしたと、poohさんの「説得する」:Chromeplated Ratという記事が投稿されました。

今回の一連のやりとりから、「信奉者は説得できない」の文脈に沿った本来の意味は、「説得の限界を弁える」ということだということが明らかになったと思います。信奉者をはなから相手にしない言い訳や、信奉者に対する配慮のない言動の根拠として使うのは、明らかな「誤用」ということになるはずです。

私は、それでも誤解を生みやすい*9表現なので、使わない方が良いと考えますが、使う人は文脈から切り離さないように注意が必要です。

*1:こんな表現をする人はまず居ないでしょうが、信奉者にはそう伝わるだろうことは想像に難くない。

*2:id:mojimojiさんとのやり取りと同じ話です[http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20080529/p1:title]

*3:弱い意味の批判的思考を使うように動機付けている。弱い意味の批判的思考=批判的思考の悪い使い方についてはこちら[http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20080609/p1:title]

*4:こっそり言うと、私もそう感じたことがあります。

*5:むしろ、キャッチフレーズ化されたから問題が発生しているように見えた

*6:ほぼ確実にぶち当たります

*7:TAKESANさんの言う「限界を弁える」ですね

*8:注:合意が得られていないのに事実化して語っています

*9:誤解を完全に排除できないからダメという意味ではない