批判的思考の態度に光をあてて欲しい

重要なのは知識なのか考え方なのか

批判的思考(クリティカル・シンキング)とは何か - Skepticism is beautifulでは、批判的思考のポイントとして以下の3つをあげました。これは、批判的思考の入門書でも、専門的な論文でも普通に使われている分け方です。

  1. 態度
  2. 知識
  3. 技術

ゆとり教育などの問題では、重要なのは知識だと言われます。だから、ゆとり教育など廃止して、従来型の詰め込み教育に戻すべきだという話になったりしたわけですね。「基礎知識がなければ、何も判断できない。」という事が言われがちです。確かに知識なしには何も判断できないのは事実でしょうから一理ありますよね。


非合理思考や軽信の問題を考えるときよく「合理的な考え方」を身につけるのが重要だという話が出てきます。この分類でいけば、技術になるかと思います。
「活用のできない知識ばかりあってもだめだ、日常生活のような多種多様な問題に対処するには、膨大な知識が必要で現実的ではないから、肝となる考え方こそ重要なのだ。」みたいな感じで言及されます。これもまた一理あると思います。


しかし、態度については、考え方の中のひとつの要素として触れられることはあるものの、あまり言及されていないように思えます。

批判的思考を操る上での第一の壁

全ての要素が重要なのは間違いないのですが、現時点では「態度」の問題が一番ないがしろにされているのではないでしょうか。

私たちの大部分は義務教育から詰め込み型の教育を受けてきたことにより、知識は権威*1から受け取るものという基本的な姿勢を持ってきました*2。そんなわけで、なんらかのきっかけがないと、批判的思考は「普通はしないこと」であったり、場合によっては「悪いこと」であったりするのが普通と言えるでしょう。

良い決断をするために批判的思考を使おうという態度は育まれていないといえると思います。批判的思考を始めるかどうかを決めているのは態度ですから、態度はもっと重視されるべきではないでしょうか。


また、批判的思考の知識・技術をもっているからといって、批判的思考をしている(できている)わけではないというのも重要です。同じ人でも、あるときは批判的思考を使い、あるときは殆ど批判的思考を使いません。態度の方向が違うところを向いていると悪い批判的思考に陥ってしまうこともあるでしょう*3


批判的思考が発揮される場合とされない場合。

私は基本的に、多くの人がある程度の批判的思考を扱えると考えています。そのため、注目するのは批判的思考が発揮されない場合についてです。思いつくまま以下のようなポイントを上げてみました。

  • 問題に関連した思い入れなどがある場合:既に多くの労力をつぎ込んだなら、それを捨てるのは難しいです。
  • 問題が感情に訴えかけるようなものの場合:怒りや嫌悪感を強く感じている状態では、冷静な思考はできません。
  • 事実の内容次第で、自分が有利・不利になる場合:自分が不利になる結果は避けたいと思うのが普通です。
  • 問題周辺領域の知識・経験が十分で無い場合:よく知っている分野では、殆ど自動的に批判的思考ができる場合がありますが、知らない分野ではそういった能力が働きません。
  • そもそも問題の構造が単純でない場合:難しい問題は考えるのが大変なので、簡単な問題よりも考えようとしなくなる傾向があります。

こういった、非常に不利な状況でも批判的思考を発揮するために必要なのが、批判的思考を行おうとする「態度」です。極端な話、態度さえあれば、知識や技術は後からついてくるのではないか?ということも考えています。

*1:教科書や先生など

*2:それが効率の良い方法=合理的又は適応的であった。いちいち批判的に考えていたらテストで良い点数をとるのが難しい。

*3:これが前のエントリの話です。→ [http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20080609/p1:title]