使い方次第で批判的思考は良くも悪くもなる
基本的に「批判的思考をしよう!」というベースがあるわけですが、その上で批判的思考の限界の認識もあった方が良いと思います。
批判的思考と論理的思考との違い
批判的思考は、単純に論理的思考と一致しません。論理は理想的な状態で前提から必然的に導かれる結論を持ちます。しかし、世の中はなんでもかんでも正確な答えが存在する問題ばかりではありません。多くの場面では前提すらあやふやだったりします。
そのため、批判的思考は、得ることのできるなるべく多くの前提から、小さな論理飛躍を伴いながら進み、結論に至ります。「前提が全てクリアではない」「論理的飛躍が必ずある」ということが重要な意味を持ちます。
これは批判的思考の限界ではありますが、欠点ではありません。現実社会では、全ての明確な前提と、論理飛躍の無い議論をするには、殆どの問題で万能な能力が必要です。つまりそんなことをするのは不可能です。万能でない人間がより妥当な結論を出すためには、そうするしかないというだけです*1。
批判的思考の悪い使い方
ニセ科学関連の論争が非常に抽象的な哲学議論になっていると感じたことは無いでしょうか?例えば、「科学は絶対ではない」とか、「それは行き過ぎた相対主義だ」とかいったような議論です。私からみると、これはまともな議論というよりは、批判的思考の悪い使い方のように感じます*2。
批判的思考は、問題解決という目的を持った思考です。目的を見失うと、すぐに悪い批判的思考*3になってしまうのです。
なぜそんなことになるのか
上で既に書いたように、批判的思考は「明確とは言えない前提から、論理飛躍を伴って結論に至る」思考方法なわけです。ですから、突っ込もうと思えば色々なところに突っ込みを入れることができます。
前提にも、論理飛躍にも、論理的にはまともな突っ込みを入れることがいつでも可能です*4。
前提に突っ込みを入れるのは比較的簡単なので、それほど込み入った議論ではなくともよく用いられる傾向があります*5。
つまり…
批判的思考を使える人であっても、使い方を誤れば、他の人を正当に見える論拠で批判し続けることが可能なのです。