なぜニセ科学に言及するか

id:dlitさんの僕がニセ科学問題に(ちょこちょこ)コミットしているわけβ版 - 思索の海という記事を読んで、私も書いてみようと思った。

今そこにある問題

今の世の中には非合理が蔓延していると思います。そしてその状況を良いとは考えていません。なにか、そういった問題の改善に役立つことができればという気持ちはあります。
もちろん昔がもっとまともだったかと言えば、そうではないかもしれません*1。しかし、今そこに非合理の問題があることは確実だと考えています。
ニセ科学の問題は非合理蔓延の一側面だと考えています。

なぜニセ科学問題を扱う?

ニセ科学の問題は、政治問題や歴史問題と比較すると結論がはっきりしている問題です。だからこそ、扱いやすい面があります。
また、私は、超常現象関連の話題に強い興味を持っているため、かなり近い位置にいるニセ科学の問題は、他の問題に比べると得意だという理由があります。

問題解決の方法

前のエントリに書いた通り、ニセ科学にコミットしている人も私たちもそんなに違わないと考えています。

だから彼らや私たちが何をどう判断しどう結論付けたのか。結論が間違いだったのならばなにがその間違いの原因だったのかということを知りたいと考えています。それは、反面教師になるでしょうし、より妥当な見解を持つために役に立つことでしょう。

現実(事実)にこだわる

でも試行錯誤だけではダメです。より妥当な見解は現実に即したものである必要があります。そのためには机上の知識だけでなく、実例を知り考える必要があります。
ニセ科学を信じている人の話をよく聞く必要がありますし、ニセ科学を信じている人にアプローチしてみなければ、分からないことは沢山あります。

結論は?

「国民が果たさなければいけない不断の努力だ!」「社会正義をだ」などという大それた気持ちを持つことも稀にありますが*2、実際のところはRPGのレベル上げやアイテム集めみたいな感じなのかもしれません。自分のことでも、よくわからないというのが結論です。

それでも、少しは何かの役に立っているかもしれないとは考えています。

*1:150前のチャールズ・マッケイ『狂気とバブル』を読んでも、50年前のマーティン・ガードナー『奇妙な論理』を読んでも、そんなに変わらないような気がする

*2:それが悪いことだとは思わないが、なにか危険な香りがするし、なぜか気恥ずかしい