人間は意外と合理的

呪術で読み解くニセ科学

ニセ科学がらみの話題で呪術の話が盛り上がっています(いました)。きっかけは、id:Francisさんの「図説金枝篇を読んでニセ科学について考えた - あなたの正義は誰を殺しますか」というエントリの模様(はてブで言及されているリンク先も確認すると尚よし)。


巡回先である渋研さんと、poohさんのところでも言及があります。
PSJ渋谷研究所X: わかる呪術
呪術と「人間の基本仕様」:Chromeplated Rat

人間は誰しもそれなりに合理的

私もこれをネタに、懐疑についてちょっと書きたいことがあったので、完全に乗り遅れたのですが言及してみます。

超常現象やニセ科学の信奉者に対して(歯に衣着せずにいえば)頭が悪いとか、合理的思考ができないという評価をしている人がいます。確かにそういう例は皆無ではないでしょうが、多くの場合これはナイーブ過ぎる見方ではないか?というのが私の考えです。

信奉者は、自分の世界観や知識に合致する前提を持って思考の展開をしているだけであって、単純に非論理的だったり、頭が悪かったりするわけではないのです。

呪術社会に生きる人は論理的で合理的。でも科学的ではない。
図説金枝篇を読んでニセ科学について考えた - あなたの正義は誰を殺しますか

というわけです。*1

人間は、考えられているより合理的な生き物で、なんらかの論理的な整合性がないと物事に納得する(信じる)ことができないのかもしれません。*2

問題は持ち合わせている知識

では、なぜそんな論理的な人間が愚にもつかない話を信じ込んだりしてしまうのでしょうか。その原因は、持ち合わせている知識の正確さに問題がある(又は正しい知識を持っていない)からではないでしょうか。

例えば、「水からの伝言」を信じる人の一部には、ネイチャー誌に載ったベンベニストの実験や、ホメオパシーとの関連を持ち出す人がいます。また、比較的詳細な量子力学の話や、ペンローズの量子脳理論まで言及したりします。

信奉者の世界観・知識の中では相互に関連し、お互いがお互いの根拠となるガッチリした証拠が存在するわけです。信奉者の世界観・知識の中では正しいと結論付けることが合理的で妥当だともいえます。

さらにいえば、そういった世界観の中の情熱も知識も私たちより上かもしれません。科学的には間違っているというだけで。

知識は正しい方がよい

信奉者と懐疑論者は、彼らと僕らではありません。同じ人間です。互いに論理的で、互いに思慮深いのです*3

懐疑論者は「知識は正しい方がよい」という知的倫理観を持っています。そして、自分のメンツや過去の発言、そして現在の信念よりも、知的倫理観を重要視します*4。これが、懐疑論者と信奉者を分ける最大の違いだと考えています。

「知識は正しい方がよい」などという考え方は、「知的倫理観」などというもっいぶった言い回しをするまでもなく当たり前のようですが、世の中では比較的無頓着に扱われています。

この話は続く予定です。

*1:(ほとんど知りませんが)アリストテレス哲学あたりと同じ方向性なんじゃないかと思ったりもします。程度は違うでしょうけれども。

*2:このことが、白黒二分法の問題やら「わからない」という状態を嫌って変な理屈を付けだす原因にもつながっていると思いますが今回は言及しません。

*3:特定個人同士を比べれば程度の差は色々でしょうけれども

*4:最大限そうしようと心がけます