違和感

poohさんの「空気:Chromeplated Rat」という記事を読んだ。これは、黒影さんの「幻影随想: 疑似科学と「空気」の研究(その1)」という記事に対するコメントとなっている。

まずは言い訳

誤解を受けたくないので始めに強調しておきたいのだが、私はpoohさんのblogの内容はコメント欄まで含めて非常に深い議論が行われていると思うし、思考を巡らす際には大いに参考にさせてもらっている。殆どの面で意見に同意していると言ってもいい。

記事で違和感を生んだポイント

今回言及するエントリについても、声を大きくして「反対」といわなければならないとは思わないのだが、違和感が存在するので、そこについて書きたいと思う。
私が違和感を感じるポイントは以下のところである。

「虚構は虚構としてふさわしく尊重し、それに過剰に力を与えたり支配されたりすることなく適切に処遇する」と云うあたりに落ち着かせることは、どうすればできるのか。黒影さんはこのエントリの中盤で、

現状を改善するためには、科学リテラシー教育に合わせて人間の心の性質についての教育、特に日本人の心のありようの特性についての教育を、義務教育レベルでもっと行う必要があると私は考える。

とお書きになっていて、そりゃまぁそれはごもっともだよな、とかは思うけれども現状そこに何らかの方法で直接アプローチできるかと云うと難しい。ほら、教育に関する議論なんてえらいひとたちからぼくらみたいな下々のものの間で交わされるものに至るまで、結局徹頭徹尾「空気」でしか行われていないわけだしね。

ちょっと引用が長いが、途中で切るのもはばかれたのでご勘弁願いたい。もっと限定した引用をするとすれば、以下の部分になる。

ほら、教育に関する議論なんてえらいひとたちからぼくらみたいな下々のものの間で交わされるものに至るまで、結局徹頭徹尾「空気」でしか行われていないわけだしね。

もし巡回先として黒影さんのところを読んでいるのなら気付いていると思うのだが、黒影さんは現在「Science For All Americans翻訳プロジェクト」を立ち上げている。これは、教育に関する具体的なアプローチだと思われるし、決して「結局徹頭徹尾「空気」」として扱われるものではないと言えるのではないだろうか*1

以前にも違和感はあった

私が違和感を感じるポイントはおそらく、poohさんがpoohさん近辺のブログで話題になった話題以外を考慮外として(悪く言えば存在しないものとして)論を進めているように見える点だと思われる。
私の見る限りpoohさんのフォロー範囲は凄まじく広く、基本的な論の進め方も慎重なため、違和感のポイントが出てくる機会はあまりない。だからこそ、たまに出ると目立ってしまうのではないだろうか。
ちなみに、以前の違和感は偶然にも同じく黒影さんの「幻影随想: 科学というモノサシ」についての記事に端を発するものだった*2

*1:実は「徹頭徹尾「空気」」の意味がよくわからないので少々弱気

*2:対象はGen氏。余談だが、id:dlitさんとpoohさんはこの件に対して表面上似た意見を持っているように見えるが、立ち位置がだいぶ違うのではないかと思ったりもする。