「体験談」信頼できる人からの話

その人が信頼できる人であるかどうかは、その人からの情報が信頼できるかどうかとは直接関係しない。信頼できない人からの情報の方が信頼できない場合が多いということはあるだろうけど。


…という当たり前の話なんですが、意外にこれは(こういう話題に疎い一般の人の間では)常識ではないようです。ここら辺について、ちゃんと話をできるようになっておきたいなと思いました。


薬の効き具合やダイエットなど、科学的にまともなデータよりも、体験談が重視される場合があります。もちろん「信頼できる人」の話であればより重視されます。また、UFO目撃談の記録(米国のデータなど)を見ていると「信頼できる人からの報告」などという話が沢山でてきます。冒頭に書いたように「その人が信頼できる人であるかどうかは、その人からの情報が信頼できるかどうかとは直接関係しない。」のに、なぜそのような判断をされているのでしょうか。

例外は色々あるでしょうが、信頼できる人と呼ばれる場合が多そうな属性を、テキトーにリストアップしてみましょう*1

  • 職業
    • 警察官
    • 先生
    • 科学者
    • 医者
  • 性格
    • 誠実
    • 真面目
    • 努力家
    • 頭脳明晰

おそらく問題は「信頼できる」が、単一の意味で使われているわけではないということだと思います。今回の話については、以下の二点。

  1. 質実剛健である
  2. 正しい情報を知っていて、それを教えてくれる

「その人が信頼できる人であるかどうかは、その人からの情報が信頼できるかどうかとは直接関係しない。」と言った場合、いくら誠実で真面目な人でも「正しい情報」を知っているかとは別の問題であるということを意味しています。
私たちが本来求めているのは、2であるにも関わらず、1であることで情報まで「信頼できる」になってしまうという混乱が起こっていると考えているわけです。

本当に誠実で真面目なら、自分の知らないことをさも知っているかのように言いふらすことはないと思いますし、でっち上げた嘘を流すこともないでしょうが、自分が知っていると誤解していることを教えるかもしれません。全てのことを知っている人はいませんから、誠実で真面目な人が間違い(結果的には嘘)を教えることは、いつか絶対に起きる当たり前のことでしかありません。

もちろん、科学者ならそれだけで、2の要件を満たしているわけではありません。科学者でも自分の専門分野から外れたところでは、おかしなことを言う人も少なくないようです。
多くの場合は聞いた話に特化した専門的な知識を持っているか?が重要なポイントになるわけですが、結構難しい条件かもしれませんね。庶民としては「驚くような情報」に関しては、それが一般的な知識になるまで保留しておくというのが、妥当なことなのかもしれません。


今回の話からは外れますが、もっと厄介なのは、誠実かどうかとは関係なくほとんど無条件に「この人なら信頼できる」「この人に着いていきたい」と、多くの人に思わせるようなカリスマ性を持った人が居ることです。

*1:公式の目撃報告で「信頼できる人の報告」とあった場合は、職業や学歴がその根拠の場合が多いようです。