音読カードの押印は手書きで

妖怪ウォッチの人気のおかげで息子の宿題が捗る!という話が話題になってました。妖怪ウォッチがすごいのは確かにですが、音読カードに手書きというパワーを感じるところです。

 

妖怪ウォッチがすごい - トウフ系

 こういうのって、絵を描く力がある人はちゃちゃっとできちゃうんでしょうが、普通の人にはなかなか厳しいところがあります。…ですが、実は僕も去年まで手書きで音読カードに描きこみしていました。リンク先みたいにホメられたいので、絵とは縁のない生活をしていて、だいぶお粗末なものですが公開してみようかと思います。

教科書シリーズ

 音読なので、教科書やらプリントやらに出てくるキャラクターを描いてみました。キリン、こっちみんな。

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コラショシリーズ

 個人情報流出で話題沸騰のベネッセの教材に出てくるキャラクターたち。みんな口開けすぎ。

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ライダーシリーズ

男の子といえば仮面ライダーでしょう。アマゾンの目が大門のサングラスみたい。

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恐竜&骨シリーズ

男の子といえば、恐竜と骨も定番ですよね。スーパーカセキホリダーなんてゲームにもはまってました。なんか、恐竜関係ないの混じった。

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なめこシリーズ

もうなめこは話題にならなくなりましたね。当時はだいぶ盛り上がってました。

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ポケモンシリーズ

妖怪ウォッチの前までは、ポケモンが定番でしたよね。ホエルコ周りはだいぶ手を抜いてる感が出ています。

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生き物シリーズ

息子の夢は水族館か動物園の飼育員さんらしいです。ミナミマグロとクロマグロって、描き分け合ってるんでしょうか?

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UFOシリーズ

お父さんの趣味はUFOらしいよ。アダムスキー型UFOにグレイはおかしいでしょ。

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そんなわけで

他にも、ゆるきゃらシリーズやら、あんぱん、猫型ロボット、乗り物、NHKなどなどだいぶ色々描きました。クオリティの低い絵でも、継続してれば力になるようで、今では少しは見れる絵も描けるようになりました。まだまだ下手ですけど(画像はガブニャン)、子供からは盛んに絵をせがまれるようになりました。

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みなさんも音読カードの手書きに挑戦してみてはいかがでしょうか。子供からはだいぶほめられますよ。

日本のオカルト事情「ホメオパシー」(2010年9月版)

(これは2010年 イタリアの懐疑論者団体CICAPの機関誌に載せるために書いた文章です。イタリア語に翻訳されて載る予定でしたが、流れてしまいました。若干古くなってしまいましたが、お蔵入りさせるのももったいないので公開します。)

1. はじめに

 はじめに自己紹介をします。私は日本の懐疑論者です。ASIOSという団体の運営委員をしています。ASIOSの活動は、超常現象の調査や調査結果の報告がメインです。基本的には社会問題を解決するために活動しているわけではありません。しかし、私たちの懐疑的調査が、社会問題進行の抵抗になるならば、うれしいことだと思います。

2. 日本におけるホメオパシーの状況

○概観

 日本では、健康対策(Self-medication)が流行になっています*1。そして、自然信仰も広がっています。自然なもの、天然のものを盲目的に「良いもの」だとする考え方です*2。そういった流れから、人工的という印象の強い通常医療や薬は、避けるべきものと考える人も多いようです。多くの代替医療は自然であることを強く主張しています。そこに通常医療への不信感が重なって、代替医療が広がる原動力となっています。ホメオパシーはここ10年ぐらいの間に急速に広まりました。

○ベースの構築

 日本でホメオパシーが普及する基盤は、1990年代後半に作られました。

 この時期「由井寅子」を中心とする「日本ホメオパシー医学協会」系*3、「帯津良一」を中心とする「日本ホメオパシー医学会」*4、「永松昌泰」を中心とする「日本ホメオパシー振興会」系*5が、多くの団体を作りました。今、ホメオパシーについて調べると、様々な機関や組織があるという状況になっています。

○メディアや著名人の後押し

 日本では、代替医療が報道メディアで扱われることは少ない状況です*6。しかし、歌手や女優、タレントにもホメオパシーにはまっている人がおり、非公式の広告塔になっています*7。2000年代前半には、複数の女性週刊誌が次々とホメオパシーを取り上げました*8。「代替医療」というよりも、もっと気楽な健康法として、認知度を上げていった状態です。

 そのような状況で、日本の前首相である鳩山由紀夫氏は、2010年1月29日 第174回国会における施政方針演説で「統合医療」の積極的な推進を表明しました*9。こういった方針を受けて、厚生労働省統合医療センターの設立を検討しています。統合医療センターでの研究対象としてあげられた代替医療の中には、ホメオパシーも含まれます*10

○ターゲット

 ホメオパシーは、障害をもつ子がいるところや、出産から育児中の親など、弱いところから入り込んでいます。沖縄では、公立中学校の養護教諭が、発達障害の生徒にレメディ―を処方していました*11

 通常の医薬品に制限のかかる、妊娠・出産から育児中の母親にも、積極的に売り込みを行っています。しかも、個々の妊婦が信じているだけではなく、専門家である助産師が勧めるということも起こっています。これは特定の助産師の話にとどまる話ではありません。助産師会のイベントとして、ホメオパシーの講演や勉強会が行われているのです*12。本来なら正しい情報を伝え、正しい行動するべき専門家が、率先してホメオパシーに関わっているということです。

 一例をあげると、日本助産師会理事の神谷整子氏がいます。彼女はカリスマ助産師としてテレビで取り上げられたこともあり*13、助産師会の中でも強い力を持っています。神谷氏は日本ホメオパシー助産師協会会長の肩書きももっています。

○ホメオパシーの被害例

 そんな中、とうとう悲惨な問題が起きてしまいました。新生児に重大な問題をもたらす症状のひとつとして「乳児ビタミンK欠乏性出血症」というものがあります。これは、ビタミンKが不足することで、出血が止まらないという症状が起きるものです。日本では、新生児にK2シロップを与えることで、ビタミンK欠乏症の発生を抑えています。しかし、ホメオパシーを推奨する山口県の助産院*14では、K2シロップを与える代わりに、ホメオパシーのレメディを与えていました。その助産院でホメオパシーのレメディを与えられた新生児が「乳児ビタミンK欠乏性出血症」で死亡するということが起こってしまったのです。

 もちろん、この被害例は氷山の一角に過ぎません*15。ホメオパシーを信じる親の善意の下で、予防接種をしてもらえない子供や医療ネグレクトを受けている子供もいます*16

 ホメオパシーのレメディには直接の害はないでしょう。しかし、ホメオパシーを信じることで重大な被害が生じるのも事実です。

3. ホメオパシー批判状況

○どのような批判が行われているか

 主にインターネット上ですが、日本ではホメオパシーは徹底的に批判されています。例えば、希釈の理論は物理的に無理のある理論であること、類似の法則が連想ゲームでしかないといった批判があります。また、ホメオパシーの効果はプラセボ効果でしかないと示されたことも、丁寧に説明されています*17

 しかし、ホメオパシー批判の情報は主にインターネット上に留まっていたため、ホメオパシーがターゲットとする主婦や子育て世代~高齢者には、批判が届いていませんでした。

○大きく動いている最中です

 しかし、これもちょっと前までの話です。今年7月以降、ホメオパシーを取り巻く状況は大きく変わっています。これは歴史的な変化と呼んでいいものです。

 きっかけは、ビタミンK欠乏で新生児が死亡した件です。この事件は、新生児の親が助産師を損害賠償で訴えたことにより、全国紙でも取り上げられるニュースになりました*18。その後、朝日新聞*19は継続的にホメオパシーの問題を取り上げ続けており、積極的な批判を行っています*20

 8/24には、日本学術会議の金澤一郎会長がホメオパシーに対する非常に手厳しい批判を行いました*21。このことは、8/25に日本4大新聞を含む各紙がニュースにしました。朝日新聞は第一面で取り上げました。すぐさま、日本医師会、日本医学会をはじめとした各種団体が金澤会長に賛同する声明を発表しました*22。ホメオパシー関係団体は、多数の批判を無視することもできず、苦しい言い訳に奔走している状態です*23

 ただし、このような状況の中で、厚生労働大臣 長妻昭が「本当に効果があるのかないのか、厚労省で研究していく」と言っている問題があります*24厚生労働省の大臣が、明確に効果が否定されているものに税金をつぎ込むと宣言しているのは、非常に悩ましいところです。

○ホメオパシー批判に足りないもの

 日本にホメオパシーを広め、現在も最大の影響力を持つと思われる由井氏は、以下のような考え方をベースに持っています。

  • 前世以前の罪(カルマのようなもの)が現世の病気に繋がっている
  • 病気の症状を出し切ること(毒出し)で罪は解消される
  • 子供は親の毒も受け継ぐ(DNAに刻み込まれている)
  • 毒がたまると精神もゆがむ

 ホメオパシーの「マヤズム」の考え方を独自解釈・拡張したものです。こういった考え方によって、日本で広がっているホメオパシーの中でも「日本ホメオパシー医学協会」系のホメオパシーは、カルト宗教的な要素が濃い状態となっています。ホメオパシーは代替医療としてだけでなく、ニューエイジ思想やニューサイエンス思想に魅力を感じる人たちの受け皿にもなっています。この状況においては、医学的な無意味さや科学的な無意味さを指摘するだけでは不十分でしょう。ニューエイジ思想の面に向けた批判が出ることによって、批判状況はよりよいものになると考えます。

 しかし、これまでホメオパシーにコミットしてきた人たちが、追い詰められ、トゥルー・ビリーバー・シンドローム(true-believer syndrome)に陥るのではないかということも考えなければいけません。強く批判するだけでなく、カルト宗教を脱退した信者のケアをするように、ホメオパシーから離れる人たちをサポートする受け皿も必要です。

4. おわりに

 日本ではホメオパシーが一部のカルト的信者を残すだけとなるかもしれません。しかし、代替医療は他にもたくさんあります。ホメオパシーの件で代替医療の問題がきれいに無くなることはないでしょう。私たちはシーシュポスの岩運びのように、地道に正しいことを伝えていくしかありません。私たちは自分のできることをできる範囲でやっていこうと考えています。

 ここで紹介したことも含め、詳細は日本のSkeptic's Wiki*25にまとまっています。より詳しい情報が必要な方は参照してください。

 

*1:一例として健康食品の市場規模は1990年頃の二倍程度まで成長している。ピークは規制や厚生労働省の指導が厳しくなる前の2005年となっている。

*2:食品等に留まらず、家、布団、衣料品などまで、「健康」「天然」「自然」「オーガニック」といった単語で宣伝を行っているほどである。

*3:日本ホメオパシー医学協会(1998年~)」系の団体としては、「ホメオパシー・ジャパン株式会社(1997年~)」「ホメオパシー研究所(1999 年~)」「ホメオパシー出版(1997年~)」、ホメオパスの養成機関として「ロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシー(1997年~)」等がある。

*4:日本ホメオパシー医学会の設立は2000年。

*5:「日本ホメオパシー振興会(2000年~)」系として、永松氏が学長を務める「ハーネマンアカデミー(1997年~)」がある。

*6:例外として2009年1月22日、テレビ朝日系「報道STATION」の「見放された患者と共に闘う"がん難民コーディネーター"」でホメオパシーが肯定的に取り上げられた。

*7:由井寅子も有名人が使っていたということを盛んに宣伝している。 http://www.homoeopathy.co.jp/introduction/tyomeijin_index.html

*8:ホメオパシーを取り上げたメディアの例。 http://www.jphma.org/About_homoe/media.html

*9:http://www.kantei.go.jp/jp/hatoyama/statement/201001/29siseihousin.html

*10:厚生労働省統合医療プロジェクトチームの会合報告は次のリンクから確認できる。 http://www.mhlw.go.jp/shingi/other.html

*11:宮城勝子教諭は「日本ホメオパシー医学協会」の認定ホメオパス。2007年12月21日の沖縄養護教諭研究会では、大会長として由井寅子の講演を企画した。

http://jphma.org/fukyu/gakkaisanka_yosu.html

http://www.jphma.org/topics/topics_40_fukyu_miyagi.html

*12:日本助産師会の複数の地方支部がホメオパシーを好意的に取り上げる講演会を企画していた。次のページにリンクがまとまっている。http://putorius.mydns.jp/wordpress/?p=716

*13:NHK、プロフェッショナル仕事の流儀、第60回 2007年8月28日放送 http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/070828/index.html

*14:ビタミンKを与えないことにした助産師は「日本ホメオパシー医学協会」の認定ホメオパス。前出の神谷氏も同協会に属しており、K2シロップの代わりにレメディ―を用いていた。

*15:悪性リンパ腫の女性がホメオパシーに頼り切ったため、通常医療をうけることなく死亡した例もある。http://www012.upp.so-net.ne.jp/mackboxy/Health/

*16:医療ネグレクトが疑われる例が「ロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシー」のWebページで公開されていたため、私も児童相談所への連絡を行った。http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20100715/p1

*17:よく取り上げられる論文は、The Lancet 2005; 366:726-732 「Are the clinical effects of homoeopathy placebo effects? Comparative study of placebo-controlled trials of homoeopathy and allopathy」。書籍は『代替医療のトリック』。

*18:7/31に日本4大新聞のうち、読売新聞と朝日新聞が取り上げた。

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=28674

http://www.asahi.com/health/feature/homeopathy.html

*19:朝日新聞は日本四大新聞のひとつ。発行部数は日本で二番目。朝刊の発行部数は約800万部で2000万人以上が読んでいると言われている。

*20:きっかけとなった事件に関わることだけでなく、ホメオパシー自体の問題に切り込んでいる。apitalの特集記事 http://www.asahi.com/health/feature/

*21:日本学術会議」は日本を代表する科学技術機関。内閣府の特別機関。 『「ホメオパシー」についての会長談話』

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-d8.pdf

*22:特に注目すべきなのは、ホメオパシーに積極的に関わってきた助産師会も今までの方向性とは異なる声明を出したこと。

日本医師会」と「日本医学会」の共同声明 http://dl.med.or.jp/dl-med/teireikaiken/20100825_1.pdf

日本獣医師会https://seo.lin.gr.jp/nichiju/suf/topics/2010/20100824_01.pdf

「日本薬理学会」http://plaza.umin.ac.jp/JPS1927/oshirase/info20100825.html

日本薬剤師会」http://www.nichiyaku.or.jp/contents/kaiken/pdf/homoeopathy.pdf

日本歯科医師会」と「日本歯科医学会」の共同声明 http://www.jda.or.jp/text/homeopathy.pdf

日本助産師会」http://www.midwife.sakura.ne.jp/midwife.or.jp/pdf/homoeopathy/homoeopathy220826.pdf

*23:それぞれの団体が何回かコメントを出している。

ホメオパシー医学協会 http://www.jphma.org/

日本ホメオパシー振興会 http://www.hahnemann-academy.com/

日本ホメオパシー医学会 http://www.jpsh.jp/

*24:「ホメオパシー問題 厚労相、必要があれば調査進める意向」http://www.asahi.com/science/update/0825/TKY201008250313.html

*25:http://sp-file.qee.jp/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?page=%A5%DB%A5%E1%A5%AA%A5%D1%A5%B7%A1%BC

ふつうのひとだからこそできること

(ずいぶん前に書いたまま放置されていた文章があったので、思い切って公開。)

 

「聡明な人がスマートに問題を解決していくってのばっかりじゃ、普通の人に訴えかける力は弱いんじゃないか。ごく普通の人が普通の人なりに問題を解決していく姿が必要じゃないか。それを見せられるのはぼくじゃないか…。」

 ニセ科学批判も、科学的思考も、クリティカルシンキングも、どこかの誰かがやっているのをながめるものじゃない。ぼくらひとりひとりが日常生活で対面する様々な問題をくぐりぬける力だ。

 すばらしい理解力も、巧みな文章力も、専門知識も持たない「ふつうのひと」は、かしこい懐疑主義者が問題の本質を見極め分析したり解決したりする姿をみて、すごいとは思いもいつつも「自分にはできない」とも感じるだろう。

 例えば、科学者である菊地誠さん、天羽さんなんかが有名どころとしてあげられる。もちろんこれは一例であって専門知識に裏打ちされたニセ科学批判者は多い。Twitterやブログ繋がりでいえば、どらねこさん*1や片瀬さん*2、NATROMさんとか。直接専門でないころでも、持ち前のかしこさで、問題点を指摘したり、ばっさばっさと切っていける人もいる。pollyannaさんとか、もちまささんとか。

 こういった方々には、ちょっと敵うとか敵わないなとか考える余地もない。ぼくはそんな「ふつうのひと*3」の一人である。万が一、ぼくをかしこい人だと思っている人がいたら、それは間違いだ。これは残念ながら謙遜ではなくて、客観的事実。

 でも、ぼくは何ももっていないわけじゃない。ぼくが持っているのは経験である。ぼくは、経験のおかげで先人のかしこさを借りて、いろいろなことを語ることができる。おかげさまで、ぼくはまともな懐疑主義者、クリティカルシンカーとして評価されることもある。

 ほんとうのところはどうなのかというと…。ぼくは問題にぶつかるとオロオロする。スマートに解決できるほどの能力がないからだ。今まで読んだ本の中にスマートな解決例があったかもしれない。けど、思いだせない。記憶力に問題があるようだ。過去の自分の発言を漁ってみる*4。過去に読んだ本を漁ってみる。見つかった。じゃあ、それを書いていこう。だいたい、ぼくのやっていることはそんなことに過ぎない。

 ぼくらの大多数はふつうの人だ。かしこかったり、専門知識をもっていたりするひとは、その能力と努力の結果、目立つけれども、そうじゃない人の方が多いことはいうまでもない。「そんな人でも何かできるんだよ」ということを伝えられるのは僕じゃないだろうか。そんなことを考えている。

 

 いま僕らが直面している問題はありきたりなものではないかもしれない。でも、先人の知恵が全く役に立たないほど特殊な問題でもない。だから普通の人でも先人の知恵を借りてなんとかできるさ。

*1:管理栄養士

*2:サイエンスライター

*3:下手すると平均以下の能力しか持たない

*4:その時読んでいた本とか、Webページとかの影響を受けて書いただけの場合も多い

『謎解き超科学』でニセ科学に騙されないための足場をつくろう

 彩図社より『謎解き超科学』が発売されました。詳細な目次と担当者はASIOS公式ブログの該当記事をご覧ください。

 内容はASIOS既刊「謎解き」シリーズと同じく「伝説」と「真相」パートで構成されています。ASIOS名義ですが、外部から菊池聡さん(オカルトニセ科学に詳しい認知心理学者)、黒川ゆきさん(日本一のホメオタ)、小波秀雄さん(ニセ科学に詳しい物理化学者)、道良寧子さん(ねこ管理栄養士)と、ニセ科学に懐疑的な人の間では有名な方々が執筆に参加されています。

 私は「電磁波による健康被害」「磁気治療器の効果」「デトックス」「水からの伝言」「EM菌」「あとがき」を担当しました。

 

ASIOSニセ科学批判??

 さてASIOSといえば、超常現象を懐疑的に調べる団体で、今までの「謎解き」シリーズは全て超常現象がらみの話でした。そんなASIOSがなぜ?と考える方もいるでしょうか。しかし、超常現象の中には一大分野として「疑似科学」というものがあります。「疑似科学」と「ニセ科学」はお互いに重なり合うもの*1なので、それほど外れた話ではありません。

 本書もニセ科学の話題は多いですが「キルリアン写真」や「相対性理論は間違っている」「ID論インテリジェントデザイン)」など、従来から疑似科学の領域にあった話も出てきます。「ニセ科学批判本だ」と考えて読むと、ちょっと違和感をもつかもしれません。あくまでASIOS「謎解き」シリーズの1冊です。

 

義務教育の副読本に(ちょっとキツイ)

 本書では、たくさんの根拠をもとに科学的に妥当だといえるのか?という視点で個々の項目について検証していきます。そのため、科学の考え方を身に付けるきっかけにもなるでしょう。僕は科学の考え方というのは、義務教育で触れるべきものだと考えています。ですから、この本も理科教育の副読本にしてほしいぐらいです。

 ただ、1項目毎のページ数が少ないにも関わらず、内容はヘビーなものとなっています*2。ちょっと義務教育の子供たちが読むには厳しい内容です。むしろ大人が読んでおき、子供たちからの疑問に答えられるように準備しておくと良いのではないでしょうか。参考文献だけ集めても20ページぐらいにはなるでしょうから*3、深入りしたい方にもお勧めです。

 

反省点も

 執筆者の一人ですが、懐疑論者を自称している者としては絶賛ばかりもしていられません。客観的立場に立ち、反省点もあげておきます。一番の反省点は、項目間の温度差が存在するということです。項目によって「自重しないマニアの追及」と「一般人に伝えるために優しく書こう」というふたつの雰囲気が存在しています。そのため、本書の総合的な評価は若干難しいところです。

 謎解き超常現象シリーズのようにマニア向けとして評価しようとすると、掘り下げ度が足りなく思えてしまう項目がありますし、一般向けとして評価しようとすると、掘り下げすぎと思えてしまう項目があります。それぞれの項目が失敗しているのではなく、想定ターゲットが揺れ動いてしまっているのが反省点です*4

 

それでも勧めたい

 ネット上には優れたニセ科学批判がたくさん存在します。しかし、Webが普及した現在においても一般人でそのような批判を目にする機会がある人はごく一部です。だからこそ、この本が本屋に並ぶこと、そして一部のコンビニに並ぶことは大きな意味のあることだと考えています。初版発行部数はそれほど多くありません。増刷を繰り返し、より一般人の目につくようになることを祈っています。そして、この本の内容を信用するにせよ信用しないにせよ、一般の方にこういう問題点が指摘されているのだということを知ってもらうことが第一歩だと考えています。

 

あとがきについて

 今回、あとがきを書くという大役を頂きました。今までWeb上では何度か書いてきた「科学的手法」とか「懐疑的手法」ということを、一般の方にもすんなり読めるように平易に書いたつもりです。「何をいまさら説明しているの?こんな分かり切ったこと説明するまでもないでしょ」と思ってもらえたら成功です*5。うまくできたかどうかは、皆さんに判断いただこうと思います。

 

拠って立てる足場をつくろう

 この本で取り上げた疑似科学ニセ科学はごく一部に過ぎません。他にもたくさんの疑似科学ニセ科学が世の中にはあふれています。この本によって、これから出会う新たな話題の内容を検討する足場を作れるのではないかと考えています。ぜひ『謎解き超科学』を読んでみてください*6

 

謎解き超科学

謎解き超科学

 

 

*1:人によっては同一視しますが、僕は別物と考えています。

*2:マニア自重しろ

*3:ASIOS本のユニークなところは、他の和書では見られないぐらい参考文献が豊富なことです。和書では編集で参考文献を削られることが多いそうです

*4:マニア向けの書き方をしているのに掘り下げ度が低いのならば、単純に評価を下げればいいだけの話なのですが

*5:僕は、普通あまりやられていない大事なことを書いたつもりですが、それを当たり前のこととして説明できたということですから

*6:内容に対する批判があれば、批判もお願いします

ニヒリストにならないための懐疑論(後編)

この文章は2007年に超常現象同人誌『Spファイル5』に寄稿した文章です。3回に分けて投稿します*1
第1回:ニヒリストにならないための懐疑論(前編) - Skepticism is beautiful
第2回:ニヒリストにならないための懐疑論(中編) - Skepticism is beautiful
第3回:今回


※話の流れに関係するので再貼り付け

体験談は常に信用できないか

体験談はやみくもに信じていいほど信用できるものではないということを書いてきました。でも「いくらなんでもそこまで不正確でもないだろう?」と感じてしまいませんか?少なくとも私はそう感じます。
例外は色々とありますが、実際のところ日常生活で繰り返し体験するような事に関しては、事象と体験談の間の差が比較的小さくなります。こういった日々の経験が体験談に対する信頼に繋がっているとしても、全然不思議ではないですよね。
ではなぜ日常的なことは比較的正確に知り、記憶することができるのでしょうか。ひとつの要因として、日常的なことは繰り返し体験することがあげられます。このことにより、プロセス図における解釈や忘却、記憶の混濁の効果が少なくなるということが考えられます。
さらに、人は明らかに間違っているとわかったことを信じることはできないという性質も関わっていそうです。日常的なことは日常的であるからこそ、間違った記憶をしていた場合に、それに気付きやすいと考えられます。つまり、現実からのフィードバックが働くことによって、より正しい情報を保持することができるということです*2
このように考えていくと、信用できない体験談の特徴を考えることもできます。簡単に言えば、繰り返し確認できず、間違っていてもその間違いに気付く事が難しい体験談は信用できないということです。
歯がゆいことですが、この特徴は「超常現象の体験談」にピタリとあてはまります。

体験談の精度を上げる

ここまで読み進められた方は、「体験談は情報としての信頼性があまり高くない」ということに納得してもらえたでしょうか。
上にあげたプロセス図では、もともとの事象をゆがめてしまう要素が沢山あることを示しました。では、どうすれば実際に起こった事象をできるだけ正確に把握することができるでしょうか?信頼性の高い情報を得るためには、どのようにすればいいでしょうか。
最も理想的なのは、事象をそのまま記録することです。そうすれば、様々な方法で何度も事象を検討することができます。例えば、ビデオで撮影するというのもいいかもしれません*3。みなさんなら、他にも色々な方法が思いつくかもしれませんね。基本路線としては、人間の記憶という方法に頼らずに、事象から得られた情報を客観的方法で記録できれば、プロセス図に描いたような情報のゆがみはかなり解決できます。
ところで、超常現象を信じている人は、科学的データは無条件で信頼されて、体験談は軽視されていると感じている人もいるのではないでしょうか。それは、誤解ではなく事実だと思いますが、その理由はプロセス図を眺めながら考えてみるのがいいかもしれません。
科学的データは、事象そのものを記録できるように、そして人間の基本仕様に左右されないように、最大限の努力が払われます。それに対して、体験談にはそのような仕組みがありません。
錯視図形のところで定規という道具を用いたように、私達は道具を使う事でしか避けられない間違いを起こす事があります。科学は人間の不正確な認知や記憶という弱点を補う道具を積極的に取り入れてきました。
つまり、科学は人間の誤りやすさをきちんと認識し、それを避けるための方法を考え、新たに道具*4を作ったり、既にある道具を巧みに使ったりしてきました。こういった努力があったからこそ、科学は信用できるのです。
実際のところ科学理論とは、体験談をまとめ、不正確な要素を削り、体系化し、より純粋な体験で再確認されたものなのです。その成り立ちから言えば「究極の体験談」とも言えます。体験談と科学は決して違う方向を向いているものではありません。
体験談の精度をどんどん高めていく事が科学だとも言えますし、精度の十分高まった体験談は科学理論になるとも言えます。科学が研ぎ澄ましてきた道具を上手に利用して体験談を料理することは、体験談を貶めることではなくて、活用することではないでしょうか。

おわりに

超常現象をやみくもに信じない考え方はうまく伝わったでしょうか。簡単にまとめれば、人間誰しも間違いやすい傾向を持っているのだから、間違いを取り除くような方法を使っていないなら、そのまま信じないほうがいいよね…ということです。
超常現象の本に書いてあるようなことは、やみくもに信じて「そういう事実があるのか」と考えるのではなく「そういう報告があるのか」という視点で見れれば、楽しみがぐっと広がるのではないでしょうか。
特に大空に力強く羽ばたく「Sp事例*5」に分類されるような事件については、こういった視点に立たない限り、切り捨てられてしまう事件になってしまいますしね。

参考文献

『目撃者の証言』E.F.ロフタス著 西本武彦訳 誠信書房
『人間この信じやすきもの』T.ギロビッチ著 守一雄・守秀子訳 新曜社
『超常現象をなぜ信じるのか』菊池聡著 講談社
『クリティカルシンキング 不思議現象篇』T.シック・ジュニア, L.ヴォーン著 菊池聡, 新田玲子訳 北大路書房
『未確認飛行物体の科学的研究 第3巻』エドワード・U.コンドン監修 仲間友紀, 金田朋子, 内山英一訳

*1:文章自体は無編集です。

*2:ただし、自分が間違っていることを言ったとしても、それを指摘してもらえる場面は想像より遥かに少ないことには注意しなければいけません。他人の間違いを指摘することは「気分を悪くする」「ヤボである」「無粋だ」「空気を読め」といったような否定的感情を生み出しやすいからです。

*3:ところで、ビデオでの記録も機械の限界による情報選別が行われていることは忘れてはいけません。例えば、カメラの角度等により見えない領域は存在しますし、温度等の情報は残りません。細かく考えると現在のところ事象をそのまま切り取ることは出来ず、部分的にしか記録する方法はないと言えます。

*4:ここで言う「道具」は比喩です。実験機器のような道具のほかに、反証可能性のないものを検討しないなどといったルールや、データを統計で処理するなどの方法も道具に含みます。

*5:Sp事例については、本書「『Spファイル』について」を参照してください。

ニヒリストにならないための懐疑論(中編)

この文章は2007年に超常現象同人誌『Spファイル5』に寄稿した文章です。3回に分けて投稿します*1
第1回:ニヒリストにならないための懐疑論(前編) - Skepticism is beautiful
第2回:今回
第3回:ニヒリストにならないための懐疑論(後編) - Skepticism is beautiful

重要視される体験談

ところで、超常現象の話題で最も印象的な「証拠」はなんといっても体験談ではないでしょうか?超常現象の話では、体験談が最も直接的で強力な証拠とされる場合が多いと思います。超常現象はそんなに都合よく何度も起きませんし、異常な物理的痕跡が残る事も殆どないようですからね*2
とても残念なことですが、超常現象は電車内の痴漢と一緒で、体験者の証言ぐらいしか頼るところが無いのが現実です。証拠が重要視される実際の法廷でも、証言が証拠として採用されているのですから、超常現象でも体験者の証言である体験談が重要視されるのは普通のことではないでしょうか。むしろ体験談を軽視する方が異常かもしれません。
海外で行われた調査では、40%〜50%の人が自分又は身近な人の体験を、超常現象を信じるようになった理由としてあげています。このことからも、体験談が重要視されていることが伺えます。
体験談というキーワードは超常現象を考える上で外せないもののようなので、体験談の構造を知る事や、本当のところ体験談がどのぐらい信用できるものなのかということを考える必要がありそうです。

ちょっと驚く体験談の実例

霊体験などについてなら、友達などからでも多くの体験談を聞くことができるのではないでしょうか。軽く想像しただけでも、体験談を全て信用した場合に目の前に広がる世界と、信用しない場合に目の前に広がる世界には驚くほどの違いがあります。ちょっと想像してみてください。
ではどちらが現実の世界に近そうでしょうか。体験談はこんなにも信用を集めているにも関わらず、私は体験談を信用しない世界の方が現実に近いと感じてしまいます。これは人によって全然違う答えが返ってきそうですね。
認知心理学者などの研究のおかげで既に明らかになっていることだけでも、体験談には様々な弱点があり、証拠として用いるのはあまり勧められることではないようです。
次の項目では、体験談の構造を概観しますが、その前にその構造に示した様々な要因を全て含んでいるのではないかと思われる体験談を見てみましょう。1968年のひとつの事件に対する複数の目撃報告です。これは『未確認飛行物体の科学的研究第3巻』からの抜粋引用です。

  • 物体の性質
    • 「降下し、それから見事な編隊で前方に進んでいました。破片が重力に逆らえるのでしょうか?」
    • 「物体の経路が水平だったので物体を衛星の破片や流星だとは思いません。」
  • 物体の出現
    • 「目撃者は皆……翼のない細長いジェット機のようなものを見ました。前も後ろも燃えていました。目撃者は皆、窓がたくさんあるものを見ました。……もしUFOに誰かが乗っていて、窓の近くにいれば、見えたと思います。」
    • 「太い葉巻のような形に見えました……。こちらから見える側には四角い窓があるようでした……。機体は多くの板で構成されていて“リベット”打ちされているようでした……。“窓”の内側から光が漏れているようでした。」
    • 「普通のお皿を逆さまにして上部の出っ張りをなくしたものという感じです。皿よりもすこし細長かった。底の真ん中が出っ張っていて、それは底の半分程度ありました。」
    • 「炎は見えませんでしたが……金色の花火がたくさん見えました……。私の考えでは、それはライトが3個ついた固体燃料ロケットか、3個の楕円形の円盤型の飛行体です。」
    • 「あきらかに円盤型をしていました。」
  • 編隊飛行
    • 「間違いなく軍用機の編隊飛行でした。」
    • 「1個の物体がもう1個を追跡しているように見えました。追跡されている方が速度が速いようでした。追跡側は……もう1個の方を撃墜しようとしているように見えました。」
  • 距離と範囲
    • 「だいたい木の高さ付近で、非常にはっきりと見えました。数ヤードしか離れていませんでした。」
    • 「私たちは、尾をたなびかせた2個のオレンジ色の光体を目撃しましたが、その距離は2ヤードほどでした。」
    • 「自分の町の南にある雑木林に墜落したと思いました。」

このとき目撃されたものは、ゾンド4号*3の大気圏再突入の光景であったことが判明しています。これは非常に目立つものだったので、上の証言をした人達が目撃したものが、ゾンド4号とは別のものだったという可能性はまず考えられません*4
この体験談を読むと、高空で燃えながら落ちる複数の破片を見たはずなのに、体験談として語られるときには、もう何らかの航空機または宇宙人の乗り物(エイリアン・クラフト)としか考えられないような話になってしまうことが分かります。距離も相当離れていたはずなのに、かなり近かったと考えている人がいたようです。
事実と体験談の間に存在しこれだけの違いを生み出すプロセスを考えてみましょう。

体験談の構造を概観する

体験談とは一体何なのでしょうか。ここでは体験談を「ある人物が体験したことを語った報告」という視点で考えてみることにします。実際の出来事をある人が体験した場合、起こった出来事(事象)と体験談の間には図のようなプロセスがあります*5

このプロセス図を見ただけで、ある程度理解してもらえるかと思いますが、体験談の記録は実際に起こった事象の記録ではありません。事象から得た情報を様々な方法で加工したものだと考えた方が適切です。
UFO界のガリレオと言われるJ・アレン・ハイネック博士はUFOの研究について「UFO研究とはUFO目撃報告の研究である」といった趣旨のことを言っています。
つまり、できるのは体験談の研究でしかないということです。そして、わざわざ分けて考えるのは、起こった事象と体験談の間には無視できない違いがあるということです。ゾンド4号の件でもこれは理解していただけるのではないでしょうか。
このことはUFO研究に留まらず、超常現象の多くの場面に当てはめることができます。なぜなら、それはUFOの問題ではなく、体験談の情報処理の問題だからです。
「また聞き」はこの問題をさらに大きくします。体験談が人づてで伝わるときには、プロセス図の出力である体験談が、次の人の事象となってしまいます。このことにより、再びプロセス図のような複雑で変化しやすい情報処理を通ってしまうことになるからです。単純な伝言ゲームでもうまくいかない*6ことからわかるように、このような情報伝達は、うまくいく可能性がかなり低くなってしまいます。
私達が普通に聞く体験談というのは、紛れもなく上に書いたようなプロセスを通ったものです。さらに注意しなければいけないのは、体験談として聞いた人だけでなく、体験者ですら他人に伝える直前の状態まで変化した情報しか知る事ができないということです。体験談は事実と大きく違うかもしれませんが、体験者は決して嘘やデタラメを言おうとしているわけではないということですね。
こういった、実際に起きた事象の記録ではなく、色々と変化した情報しか持つ事ができないという性質は、誰もが平等にもつ人間の基本仕様というわけです。
このような問題を知らないのならば、体験談をもとに超常現象を信じてしまうということは、全く異常なことではないと思います。その方が自然だという捉え方が正しいかもしれません。
体験談の問題点が少しは整理されたでしょうか。このプロセス図はあまりに抽象的過ぎて、分かりにくい点もあるかもしれません。情報のゆがみの原因となる個々の要因については、次回以降の機会があれば掘り下げて解説したいと考えています。

*1:文章自体は無編集です。

*2:異常でないものでよければ結構あるようです。

*3:ゾンド計画は、米国のアポロ計画のライバルとなるソビエトの有人月探査計画のひとつです。正確にはソユーズL1計画として「有人月接近飛行」を目的とされており、ソユーズL3計画の「有人月面着陸」を目的とした計画とは別です。

*4:もし仮にそのようなことがあるとすれば、ゾンド4号の再突入の光景もUFOとは別に同時に見えたはずです。もちろん、そのような報告はありません。

*5:網羅的ではないですし、一般的な心理学の分類とは異なる分類を使っています。そういった意味で不正確かもしれませんがお許し頂ください。通常、心理学では記憶過程を獲得期・保持期・検索期の3段階に分けるようです。

*6:伝言ゲームではこのプロセスよりもだいぶましです。情報選別の必要性が低いこと、次に伝える時間が短いために、記憶を通すことによる情報の欠落が起きにくい(それでもかなり起こる)こと、また事後情報による記憶の汚染が起こらないこと、それから誇張や演出が加えられる可能性が低いという性質があるからです。

ニヒリストにならないための懐疑論(前編)

この文章は2007年に超常現象同人誌『Spファイル5』に寄稿した文章です。3回に分けて投稿します*1
第1回:今回
第2回:ニヒリストにならないための懐疑論(中編) - Skepticism is beautiful
第3回:ニヒリストにならないための懐疑論(後編) - Skepticism is beautiful

信じる事から脱したとき、純粋に超常現象を楽しめる道が見える

超常現象は非常に楽しい。単純にワクワクドキドキすることもあれば、どんな仕組みが裏に隠れているのだろうと首を傾けて不思議に思うときもあります。時には爆笑したり、ツッコミを入れたくなったり、泣けたりする場合もありますね。
ところで、ちょっと考えてみて欲しいのですが、超常現象を楽しむときには、超常現象を信じていないといけないのでしょうか?何かの拍子に超常現象を信じていないことをポロッと出したりすると「夢がない。面白くない人。」などと言われてしまう場合があります。
確かに頭から否定して「ナイナイ、ありえない」なんて言って話を終わらせてしまう人なら、間違いなく全く楽しめないですよね。でも私は、超常現象を見たそのままの事実だと信じてしまうことだって、本当に楽しむ事の邪魔をしてしまうのじゃないかと思います。
例えば、超常現象が事実だと信じて疑わない人は、その超常現象がジョーカーの良く出来たジョークだった場合に楽しめるでしょうか?思わず不快感を持ってしまって、そこで話を止めてしまいたくなったりしないでしょうか?
認知心理学などでわかってきた「信じる心理」に関する話も「お前の信じている超常現象なんて全て錯覚さ」なんて言われているような気がして、楽しめないのではないでしょうか?
自分が信じていることを部分的にでも否定されてしまうと、どうしても楽しむよりも不快感の方が大きくなりそうです。でも、ちょっともったいないですよね。ジョーカーのジョークだって、認知心理学だって楽しめることなのに、自分が超常現象を信じ込んでいるから楽しめなくなるなんて。
そんなわけで、超常現象を楽しむために、やみくもに信じることをやめてみませんか?
いえいえ、ここでは「超常現象などないのだ!」と信じた方がいいとか、信じて欲しいとか言うわけではありません。ただ、超常現象を自分の信念から解き放って大空へ自由に羽ばたかせてみませんか?ということです。もちろん頭から否定してもダメですよね。
私からは、超常現象を大いに楽しむ前の段階として、超常現象をやみくもに信じない考え方といったところについてお話させていただこうかと思います。

超常現象を信じるのは人間の基本仕様だ

超常現象に関する議論を見たことがある方なら「なんでそんなことを信じているのだろう?」と思う方も「なんでそんなに信じられないのだろう?」と思う方もいらっしゃるのではないかと思います。
超常現象を信じない人の中には、超常現象を心から信じている人のことを「愚か」だとか「合理的思考ができない」といったように、いわゆる「劣っている」という見かたをしている人もいるかもしれません。でも、私はそうは考えていません。
結論から先に言うと、超常現象を信じる傾向は人間だったらみんなが等しく持っている「基本仕様」なんです。「基本仕様」だからこそ、この傾向自体は避けられません。
人間は多くの場面で、現在のコンピュータにも再現できないような、高度な情報処理を行います。私たちの脳はとても見事な仕事を日々やり遂げていますよね。
なぜ人間は、正確無比なコンピュータができないようなことまでできるのでしょうか。それは、人間の情報処理の仕方が現代のコンピュータとは違うからです。例えば詳細な情報をばっさり無視して一部の情報だけを取り出したり、情報が少なすぎて結論が出ないはずのものに「えいやっ」と答えを出してしまったり、似ているものを同じものだということにしちゃったり…と、曖昧なものを曖昧なままに上手に効率的に処理するからです。
このように色々な場面に上手に対応したり、効率よく対応したりするためのシステムは、うまくいく事も多いのですが正確さを犠牲にしてしまう面もあります。たまに間違ってしまうのは、当たり前のことでしかありません。
人間は情報処理の効率化のために、ときに不正確であったり間違っていたりすることを信じ込んでしまう傾向を“仕様として”持っています。この仕様のために、きちんとした根拠がなくても超常現象をまごうことなき真実だと確信してしまう場合があるということです。
あれあれ?結局「超常現象はない」って前提で話を進めちゃうの?と思った方もいるかもしれませんね。でもちょっと違います。「超常現象のあるなしに関係なく」人間の仕様は超常現象を信じる方に傾きやすいということです。

基本仕様に回避方法はないのか

基本仕様は仕様であるからこそ、避けるのが難しいということを知ってもらいたいとおもいます。例えば、以下のような錯視図形を見たとき*2、正確な正方形だけで書かれているようには見えません。どうがんばって見ても、殆どの方はゆがんだ四角形を組み合わせて中央が膨らんだような図を作っているように見えるのではないでしょうか。本当に「そう見えるのだからしょうがない」という言葉が適切だと思います。

「ゆがんだ四角形を組み合わせてつくった図だ!」というのは間違いです。でも、決して馬鹿にされるような間違いではないですよね。実際そう見えるのは事実ですから。これは、間違うからといって、それ自体が愚かなわけではないという例でもあります。
ただ「間違いだ!でも基本仕様だからしょうがないよね…」なんていくら基本仕様だと言われても、ちょっとした慰めになるだけで、できることなら間違いたくないのが本音ですよね。本当の事を確かめたい。
このような図の場合は、定規等を図に当てて確かめることができます。印刷がゆがんでいなければ、これが正方形だけを組み合わせて作った図であることがわかるはずです。
確かに正方形だけで作られていることはわかりました。けれども、定規を離してしまうと、よく見ても相変わらずゆがんだ四角形を合わせた図にしか見えないことは変わりません。
つまりこういうことです。基本仕様だから仕様を変えることはできないけど、仕様の問題点を知っていれば、道具を使うという発想ができるし、道具を使う事で仕様の問題点を回避できるかもしれない…と。逆に言えば、道具を使わなければどうやっても避けることのできない間違いもあるということですね。

*1:文章自体は無編集です。

*2:北岡明佳の錯視のページ」http://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/ より。