「奇跡」のジレンマ

日常用語で出てくる「卓越した結果」という意味ではなく、本来の意味の「奇跡*1」は、それ自体がジレンマを抱えているという話。僕はこのことを「奇跡のジレンマ」と呼びたい。

超常現象と認められるためには

僕は、超常現象の調査なんかをやったりすることがある。調査結果はできる限り論理的で妥当な内容にしようと努力している。つまり蓋然性*2の高い結論を求めているということだ。僕は否定のための否定はしたくないのだ。生真面目な僕は、どのような条件が揃ったら「これは超常現象である」と断言できるだろかと考えることがある。
ここで、仮に超常現象を「自然現象を超えた現象」とおくと、ほぼ「奇跡」と同じ定義となる。ただ、この定義を採用した場合に問題が発生してしまう。

ジレンマ

それは、どんなに低確率の事象であっても、「超常現象である」という結論よりは蓋然性が高くなってしまうということだ。たとえば、宝くじを1枚だけ買い、それが必ず1等になってしまう。しかも、それは3度やって3度とも起こった…といった話があったとする。
インチキをしていないのならば、これはもう超常現象と呼んでいいものだろうと思ってしまう。しかし、本当に論理的に蓋然性の高低をうんぬんするのであれば、「偶然である」とか「誰もわからないインチキを行った」という結論を選ぶしかない。
もっと極端な話をすれば、未発見の自然法則があり、その法則を考慮に入れれば必然的に起こったことだという結論ですら、「超常現象である」という結論よりも蓋然性が高いということになるだろう*3。なにせこちらは、論理的に起こりうる自然現象内の仮説である。

これでは困る

僕は「奇跡などない」とか「超常現象などない」とか言いたくないので困っているのである。前からそれが存在するのなら喜んで認めると主張しているし、本気でそう考えている。
ということは、定義が現実離れしているということだ*4。より現実的な定義をするとなるとどうなるだろうか。
UFOならETHが正しかったとか、超能力ならESPが科学的実在を認められた*5とか、個別事例ならなんとか思いつくものの、一般的な基準を定めるのは難しすぎる。というわけで、今のところ結論はない。一般的な基準を設けないという結論しかないのかもしれない。

*1:自然現象を超えた(たとえば神によって引き起こされた)現象

*2:どのぐらいあり得るかという度合

*3:ここでは「超常現象」の定義を「奇跡」と同等の扱いにしていることに注意

*4:ということにすればいいのだ

*5:つまり未発見の自然現象だったということになるだろう

『最強のクリティカルシンキング・マップ』

著者の道田泰司様より最強のクリティカルシンキング・マップ―あなたに合った考え方を見つけようを献本いただきました。ありがとうございます。

道田さんとの出会い

僕は懐疑論者を自称しているわけなので、懐疑的思考とか科学的懐疑主義とかそういったことを意識する場面が多い方です。そんななかで、たぶん6年ぐらい前に初めて「クリティカルシンキング」という概念を知りました。今思えば、道田さんが本書で「教育系クリティカルシンキング」と分類しているものだったと思います。

その後「心理学系クリティカルシンキング」や「論理学系クリティカルシンキング」「哲学系クリティカルシンキング」と分類されているような本もいくつも読みました。クリティカルシンキングについてはそれなりに詳しくなったと言っていいと思います。

その頃に出会ったのが道田さんのWebページでした。ここでは道田さんの論文などを読むことができます。
http://www.cc.u-ryukyu.ac.jp/~michita/jiko.html
ここで、共感・対話とクリティカルシンキングの関係について語っていることに、心動かされた覚えがあります。私が求めていたクリティカルシンキングでした。日本人のクリティカルシンキング研究者=道田教授という図式が確定した瞬間です。

本の話

今回の本は今までに無かったクリティカルシンキングの本です。僕はとても道田さんらしい本だと感じました。
巷のクリティカルシンキング本の多くは、クリティカルシンキングの一面的な話しかでてきません。この本では様々なクリティカルシンキング本を引用しながら全体を概観するマップを作っていきます。
クリティカルシンキングを探求する姿の実例を道田さんが示しているような印象も受けました。その中で「よりよい思考=クリティカルシンキング」を浮かび上がらせます。

しかし、この本の中で僕がすばらしいと思うのは、なんといっても6章「学びを深める」のところです。この章は他のクリティカルシンキング本を読んだだけでは、ほとんど出てこない話です。不正確な表現もありますが、ざっと列記してみます。

  • クリティカルシンキングは本来難しいことだ。
  • でも誰でもどこかではやっていることだ。
  • クリティカルシンキングは合理的で反省的な思考方法だが、反省しすぎでは問題解決につながらないことも、問題を悪化させることもある。
  • 開かれた心が必要。
  • 何かを決定するためには枠組みが必要。
  • 常識を疑うためには、別の常識の枠組みが必要。
  • クリティカルシンキングは必要なときに使えばよい。
  • 自分にあったクリティカルシンキングがある。

ここに列記したことについて、何か感じた方なら是非読んでほしいと思います。

追記

過去のエントリでも、クリティカルシンキングのおすすめ本を紹介しています。全くクリティカルシンキング関連の知識がない方はこっちの方を先に読まれた方がよいかもしれません。必読:批判的思考を知るための3大オススメ本 - Skepticism is beautiful

『検証 大震災の予言・陰謀論』

文芸社の高橋様より『検証 大震災の予言・陰謀論』を献本頂きました。ありがとうございます。


本書は「超常現象の謎解きシリーズ」など、超常現象の懐疑的調査が得意なASIOSメンバーと、大震災以降、国際ニュースを追い続けてきたアンドリュー・ウォールナー氏によって書かれた、陰謀論 検証本です。


目次は「ASIOSの書籍紹介ページ」を参照してください。


3.11の東日本大震災以降様々な陰謀論が渦巻いたことは、誰しもが見てきたことだと思います。また、武田邦彦氏のような著名人も、おかしな話をばらまいています。超常現象界隈では予言者が騒ぎ立て、ニセ科学と呼ぶべき主張も色々と表に出てきました。


そんな様々な話を「主張」と「真相」といった形でまとめたのが本書です。ASIOSの書籍らしく、非常に読みやすい本です。また、山本弘さんの地球深部探査船「ちきゅう」インタビュー記事など、陰謀論にさほど興味がなくても面白い話も含まれています。

本書の特徴として、ピックアップされている主張の内容は、科学寄りではなく疑似科学ウォッチャー寄りになっています。ASIOSの得意分野に近いところですから。しかし、なんといっても一番の特徴は、一般向けの和書で類をみない参考文献の多さでしょう。


翻訳ものの一般書は比較的参考文献が載っているものが多いのですが*1、日本の一般書は参考文献リストがないことがお約束にでもなっているかのような惨状です。このおかげで、著者の主張が何を根拠に言っているものなのか、再検証を行いたい場合に非常に苦労するのが常です*2


本書の場合は、そういった心配をする必要は殆どないでしょう。大震災以降、無根拠な主張を根拠に不安を募らせているひと、怒りを覚えているひとが沢山います。中には本書の「真相」が疑わしいと思うひともいるかもしれません。


安心してください。著者らの主張の根拠はちゃんと参考文献としてあげられています。自分で再検証することができます。


『検証 大震災の予言・陰謀論』

*1:それでも、原書から大幅に削られている場合がある

*2:なにかの偶然で発見しない限り、主張の根拠がわからないことも多い

『もうダマされないための「科学」講義』にダマされるな

著者の一人である片瀬さんから献本頂きました*1。ありがとうございます。目次は以下。

『もうダマされないための「科学」講義』

1章 科学と科学ではないもの 菊池誠
2章 科学の拡大と科学哲学の使い道 伊勢田哲治
3章 報道はどのように科学をゆがめるのか 松永和紀
4章 3・11以降の科学技術コミュニケーションの課題  平川秀幸
付録 放射性物質をめぐるあやしい情報と不安に付け込む人たち 片瀬久美子

出版社の紹介にダマされるな

この本、出版社の宣伝を読む限りは、「科学とは何か」を今まであまり意識してこなかった人、「科学」をあまり知らない人(以下「一般人」と表記します)向けの本なのですが、そこにダマされそうになりました。そういった方が読むと、話題についていけないか、曲解しそうな感じの部分が多いでしょう。
そんな優しい本ではないのです。ハードボイルドです。取扱注意です。むしろ伊勢田さんの2章ででてくる「モード1科学*2」を知っている層(以下「専門家」と表記します*3)にこそ有用な内容です。なぜなら「モード1科学」を知った上で「モード1科学」を超えたところの話がメインになっているからです。
「科学」とか「科学哲学」とか、興味を持って本を読んだりしたことのない人にとっては、3章と付録が読みどころになります。

科学を伝えていく側の指針として

菊池さんの章の内容は、今まで科学というものを意識していなかった層でも、是非とも理解してもらいたいことがたくさんでてきます。しかし、短い文章の中ではどうしても説明不足になっています。菊池さんの章に書いてあるようなことは、専門家が、そして私たちが、さまざまな場面で、噛み砕いてていねいに説明していく必要があるでしょう。
そのとき、社会の中に科学をどう位置づけていけばいいか、伊勢田さんの章の内容が役立つと思います。科学を伝えていく側は、モード2科学について理解していた方が良いのは、間違いなさそうです。
最終的に一般人とのコミュニケーションをとる場合、平川さんの章が役に立つでしょう。
これらの章は、先に書いたように、書かれたままを提示して科学コミュニケーションとするにはつらいというのが事実ですが、科学コミュニケーションの指針として大いに使える本だといえます。

不安に悩まされている人は

一般人は、松永さんの章と片瀬さんの章だけを読むことで混乱せずに済むでしょう。
松永さんの章で取り上げられている食の問題は、毎日の生活の問題です。マスメディアからは、さまざまな情報が入ってきますが、それをどう受け止めたらいいか。生活に密着した一生モノの知識になることは間違いありません。
今、まさに直面している放射性物質と健康に関する話題は、片瀬さんの章で扱われています。放射性物質による健康被害対策として、最近話題になっている方法が、身も蓋もなく否定されています。不当な扱われ方をしているわけではないんです。本当に身も蓋もなく否定できるものなんですから。気分を害するひともいるかもしれませんが、そういった方は、自分が何を求めているのか考える必要があるでしょう。色々と話題になっているけれど「本当のところどうなのか?」を知りたい人にとっては、とても有用です。

今、誰が読むと良いのか

東日本大震災以降、ニセ科学(ホメオパシーやらEM菌やら放射能対策グッズ)が広く一般人に受け入れられているという印象を持っている人は多いでしょう。この状況をきっかけに、専門家の中にもニセ科学のまん延に危機感を持った人がいるとおもいます。これまで非合理批判なりニセ科学批判なりをしてこなかった人たちが、立ちあがってきている場面ではないでしょうか。
僕は、こういった層にこの本を読んでもらいたいと考えています。なぜなら、専門家が得意な「科学のやり方(モード1科学)」では目の前の問題に対応できないからです。専門家にとって、ニセ科学は科学的な誤りを簡単に見抜けるものですし、誤りである根拠も簡単に用意できるでしょう。科学的な正誤の問題ならよかった。でも、問題の焦点はそこにはないのです。
もちろん、専門家による情報提供はとても重要ですし、有難いものです。しかし、問題点を最も伝えたい相手である一般人とのコミュニケーションの問題に立ち入ると、正しい情報と詳しい説明だけではどうにもなりません。そこでこの本の内容が役立ってくるはずです。

本当だったら1+2+4章と、3章+付録という2冊に分かれていればよかったのにと僕は思いました。その方がターゲットが絞り込めて、格段に宣伝しやすいですから。
というわけで、1番のお勧めは、最近の情勢に危機感を持ち、積極的に情報発信をしていかなければならないと思い始めた専門家ということになります。いま、科学の情報を必要としている一般人は3章と付録を読み現在の問題に対処する。科学の考え方の基礎は他の本で身につけてから1+2+4章をじっくり読むという読み方がよいのではないでしょうか。

*1:催促したともいいます。

*2:一般的にいう「自然科学」のことと考えていいかと思います。

*3:科学者に限定しているわけではありません。専門知識を持つ一般の人も含みます

信奉者の説得についての経験談と思うこと

何度か語っていることではあるけれど、僕は超常現象信奉者として、後には超常現象懐疑論者として掲示板上での議論を続けていた。話題は超常現象だけにはとどまらず、俗にいう「ニセ科学」の議論になったことも沢山ある。
そういった歴史の中で、信奉者に説得を行ったことも少なくない。オープンの場で行ったこともあるし、メールでのやり取りのこともある。これから、何度か説得についての僕の思いを書いていきたいと考えているのだけど、はじめに、僕が信奉者の説得についてもっている印象を書いてみたいと思う。当然、客観的事実とか普遍的な原則とかを話したいわけではなく、あくまで経験談であり、印象論にすぎないことには注意してもらいたい*1

説得の受け入れやすさ

僕は傲慢にも「科学的考え方の啓蒙をするんだ」という思想を持っていた*2。だから、信奉者とのコミュニケーションが説得になるのも自然なことだった。結果、様々な人に対して説得しようと試みてきた。その中で思うことがある。それは、年齢や性別によって説得の受け入れやすさが違うという傾向があるのではないかということだ。
ざっくり言えば、年齢は若い方が説得を受け入れやすい。そして、女性の方が説得を受け入れやすいということを感じた。ここにはなんらかの理由があるのかもしれないけれど、特にアイデアもないので印象を語るだけにする。ただ、40代以降の男性を説得対象に選ばない方が良いだろうということだけは言ってしまおう。*3

信奉者の説得が成功するなんて稀なことだ

説得に関して言っておかなければいけないと思うのは、説得が成功することなんてまずないということだ。もし、説得に挑戦したことがある人なら嫌というぐらい感じていることだと思う。これについては、きちんと理由があると考えているし、「説得が成功しないなら説得コミュニケーションにたいした意味はない」という考えは間違いだと思っている。ただ、この話はまた次の機会にしたい。
逆に驚くべきことだと思っているのは、説得に成功したことも何度かあるということだ。ここにそのやり取りを公開することはできないのだけど、確かに考えを変えてくれたようだった*4
僕は元超常現象信奉者で「本当のことを知るためなら自分の今の信念なんてなんぼのもんじゃ」と考えていたにも関わらず、信奉者から懐疑論者に転向するのに年単位の時間を要した。信念を変えるのはそれほど難しいことなのだと思っている。それなのになぜ、僕から説得されたぐらいで信念を変えてしまうことができたのだろう。もちろん、強固な信念をもった信奉者ではなかったということもあるだろうけど、それだけじゃないのではないか。

信念を変える足掛かりがあるのかもしれない

僕が直接的な対話で説得に成功した人というのは、例外なく育児中の母親だった*5。子供の健康や幸せを思う気持ちから自発的に色々なことを調べ、ニセ科学やニセ医療にはまった人たちだったのだ。
たぶん、母親たちの子供を思う気持ち*6が、自分の信念を覆すときの支えになったのではないか。僕はここに答えがあると考えている。それは信念を変えるための足掛かりをもっているということだ。
多くの人は、自分の信念を否定されると人格を否定されたと感じてしまう。批判活動なんてことをしているとよくぶつかる話だと思う。だけど、これは当然のことだろう。信念というのは、自分が自分であるという確かな足場なんだから。足場を崩されて宙ぶらりんになることに反発するのは当然のことだ。
しかし、育児中の母親は「子供のため」という足場さえ守れるのならば、他の信念を変えることもできるのではないだろうか。

崩さなくて済む足場をつくろう

育児中の母親の説得ができたというのは、結果だけで見れは成功だった。でも、こう考えていくと危うさも残ったままだと気付く。彼女たちが子育てから解放されたとき、人知れず「崩れない足場」もなくなってしまうことになる。
懐疑論者は「事実に拘ること」「証拠の強さに応じて信じること」「不正確な認識、間違いは継続的に修正すること」なんかを足場にすることで、意見を変更しても足場が崩れない状態を作ることができている。だからこそ、新たな証拠が今まで信じていたことを覆しても耐えることができる*7
僕が懐疑主義とか、科学的思考とか、クリティカルシンキングを推す理由というのは、こういうところにある。自分の信念にとらわれて硬直してしまうことを防げる。つまり「自由」のためだ。

*1:それでも、なんらかの意味があると考えているから公開するわけなんだけど

*2:そして今も持っている。ただ「啓蒙」という小難しい言葉が自分の考えに合っているのかは、未だによくわからない

*3:不快感を生むだけで何のプラスの意味もない言及のため反省して消しました。

*4:絶対数は少ない。もちろん、表面上考えを変えているように見えてただけという可能性もあるけど、僕はそう思っていない

*5:「議論をギャラリーとして見ていて、考えを変えました。」と言われたことも何度かあるけれど、その人たちは含まない

*6:周りからのプレッシャーみたいなものもあるかもしれないけれど…

*7:とはいえ、そこまで完璧な人はいなくて、新たな証拠を受け入れるのに時間がかかることもある

『アメリカ陰謀論の真相』はアメリカ政府の陰謀か

文芸社の高橋様より献本頂きました。ありがとうございます。

本書は、あの『陰謀論の罠 』の奥菜秀次さんが再び陰謀論を取り上げて種明かしを行った本である。内容は陰謀論マニア奥菜クオリティである。

『アメリカ陰謀論の真相』目次は以下に

  • まえがき
  • アメリカは真珠湾攻撃を察知していたが、英国を救い破綻した経済を立て直すため、あえて一撃を待った。
  • 歴史を影で操り、世界戦争を画策する米英資本家の悪行!
  • 20世紀最大の陰謀 − ケネディ大統領暗殺事件
  • 北ベトナム政府はベトナム戦争終結後もアメリカ人捕虜を密かに拘束し、アメリカ政府はそれを知りながら彼らを見殺しにした!
  • 氷山との衝突事故で沈んだタイタニック号は、実はアメリカの大資本家の手で他の船にすり替えられ、故意に沈められていた!
  • キング牧師暗殺犯は冤罪で、真犯人は米政府関係者だった!
  • ロバート・ケネディ暗殺犯は洗脳され、現場には共犯者がいた!
  • ウォーターゲート事件謎の情報源が示す、軍産複合体の魔手!
  • ガイアナ人民寺院集団自殺の背後に、CIAの策謀があった!
  • 911テロ陰謀論
  • 9.11テロの首謀者ビンラディンは殺されていなかった!
  • エピローグ − 感覚と論理の差
  • あとがき − アメリカ陰謀論から見る日本の未来
  • 参考資料一覧

本の構成は「陰謀論」として、世に出回っている陰謀論の説明があり、「真相」として事実が語られるという形式をとっている。つまり、トンデモ超常現象XXの真相やASIOSの謎解きシリーズ などと同じ形式である。この形式だと、そもそも詳しく知らない陰謀であっても謎解きを楽しめるのでありがたい。


ただ、今回の本については「ライト層でも問題なく読めますよ」とは言いにくい面もある。『検証 陰謀論はどこまで真実か』に比べるととっつきにくいというのが正直なところだ。短い文章の中に情報を詰め込みすぎているところがある。ただし、それはより深く真相へ切り込みたい層にとっては、メリットとなるだろう。読み物ではなく、資料として扱いたいところだ。


個人的には、調べよう調べようと思いつつ、全く手付かずでほったらかしにしていたジョン・F・ケネディ大統領の暗殺に関する陰謀論が、90ページにも渡って、詳しく取り上げられている点がうれしかった。
私が知っていた結論はオズワルド単独犯説が有力というぐらいのところだった。私の中の最大の謎として「政府文書が2039年まで非公開なのはなぜか?」という疑問が残っていた。オズワルド単独犯ならば、単なる殺人であって、なにも機密にするような情報などないと考えるのが適当だろうと。
この本によれば、2039年まで非公開だったはずの資料は既に公開されているらしい。私が知らなかったというだけで、最大の謎でもなんでもなかった。機密になった理由はNSAとK○○関係なのだろう*1


ケネディ大統領の陰謀論については、UFO関連の陰謀論*2と似た面もある。よく考えればUFO陰謀論も同世代のものだ。そう考えると、お互いがお互いの手法を真似して使っていたのではないかということも考えられる。1980年代以降のアメリカは陰謀論に染まっていた。アメリカの陰謀論史という視点で捉えてみるのも面白いかもしれない。


陰謀論者がどのようにして陰謀を作り上げたのか。どのようにして荒唐無稽な陰謀論に説得力を持たせたのか。陰謀論メーカー達の手法は同じことの繰り返しである。この本でそういった手法を知っておくことは、今後も必ず現れる陰謀論を見極める力となるだろう。


陰謀論を信じる人々に対する評価や、ソーシャルメディアに関する考えなど、奥菜氏の考え方に同意できない点はあるものの、資料の質には影響はない。


最後に、これだけは絶対に言っておかなければならない。ところどころで出てくる「正直、すまんかった((c)佐々木健介)」とか「禁則事項です((c)朝比奈みくる)」とか・・・については、ハードな地の文から非常に浮いている。奥菜氏には猛省していただきたい!!


『アメリカ陰謀論の真相』

*1:機密の理由はこの本でも語られていないので、私の推測にすぎないけれども

*2:政府は宇宙人との密約を隠している…という陰謀論

批判者に意識してもらいたい3つのこと

ぼくは元超常現象信奉者で、信奉者としての議論経験も少なくない。そんな経験から、信奉者と議論する場合に、批判者として気を付けたいポイントをあげてみる。相手が純真な信奉者の場合は特に気を付けてほしいところ*1

1. 信奉者をユニークな一人の人として扱う

あたりまえのようで、あたりまえにできている人は少ない。
信奉者の主張には、どっかで聞いたような話が多いのは事実。そして何度も見てきたような間違いをしていることも多い。でも、やっぱり詳細は色々と違うものだから「またあのパターンか」「周回遅れ」「FAQ」と思っても、目の前の信奉者の意見を注意深く聞き、目の前の信奉者の意見に反論して欲しいと思う。
信奉者の意見をFAQとして一般化されたものへカテゴライズして、FAQへの返信を書いてしまうのは問題だ。信奉者は「こいつ、全くぼくの話を聞かないでどこかの誰かの話をしてる。話にならん。」とか「結局自分語りしたいだけか。」と思う。

2. 信奉者の中では一貫した正しい意見であることを意識する

信奉者の意見には同意できないからこそ、批判者になっているはず。だから信奉者の意見に同意できないのは当然。でも「内部矛盾している」とか「合理的思考ができない」とか「徹底的に間違っている」という前提で議論を続けると、極端にすれ違うことになる場合が多い。
ひとは意外と合理的で、まがりなりにも合理的な筋道が立たないものを信じるのは難しい。間違った結論に達する過程には、事実誤認があったり、論理展開が間違っていたり、飛躍があったりするもんだけど、信奉者がどのような筋道で信じているのかが重要*2。多くの場合、信奉者と批判者の一番の違いというのは、暗黙の前提が全くことなることが原因なので、そこまで落とし込むことができたら第一段階成功と考えていいと思う。
前提の相違という視点を持たずに表面化した話題の議論に終始すると、信奉者からは「全く理解不能だ」とか「頭から否定するだけ」なんて見られる。

3. 批判者は自分の間違いや偏りに気付きにくい

超常現象批判者やニセ科学批判者は、おおよそ正しい結論をいう。だからこそ、自分の間違いには気付きにくく、指摘されにくいということには注意したい。科学的な思考、クリティカル・シンキングなんてしなくても、「キーワード」+「批判」なんかでGoogle検索をすれば、見た目いっぱしの批判者になることができる。そこまで酷くなくても、中途半端な理解で正しい結論を言うことができる。そこが落とし穴になる。
それから、様々な思考の「バイアス」も注意したいところ。思考のバイアスをもっているのは信奉者だけではない。批判者ももっている。信奉者が重大な問題を起こしていて、それが事前に予測可能に見えたとしても、「後知恵バイアス」かもしれない。信奉者が愚かにみえたとしても「基本的帰属錯誤」かもしれない。
批判者が陥りやすいバイアスについては、過去のエントリも参照のこと。『信奉者の問題を過大評価する可能性のある4つのバイアス - Skepticism is beautiful
ここら辺のことを理解していないと、信奉者の能力を不当に低いものと評価してしまう。信奉者は「バカにされている」とか「理想論ばかりだ」とか思う。

信奉者を説得するつもりのない人へ

ぼくは、批判対象になるような信奉者も、ゆるい信奉者も同じような間違いをしていたり、同じような環境にあると思う。だから、批判対象になるような信奉者に対する言葉は、ギャラリーとして議論を眺めるだけののゆるい信奉者にも同じように伝わると考えている。
そんなわけで、信奉者を説得するつもりのない批判者であっても、参考になる点はあるんじゃないでしょうか。

*1:対象にしているのは、ある程度の議論ができる信奉者となる。殆ど何の意見も持っていない「なんとなく信奉者」は対象外。

*2:ただ、ある程度の一貫性のなさは、あって当然なので気にしない。